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東日本大震災から15年。自主避難した家族のその後は

東日本大震災から15年。自主避難した家族のその後は

22,000人以上が犠牲となった東日本大震災の発生から15年経った3月11日。遺族らが地震発生時刻の午後2時46分に合わせて犠牲者を悼みました。この日に放送されたCBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』には、福島県で被災し、愛知県に自主避難してきたというリスナーから投稿が寄せられました。その実情につボイノリオと小高直子アナウンサーが耳を傾けます。

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あれから15年

東日本大震災の時に東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた福島県では、県が主催する追悼式が行なわれ、平和への願いと復興への期待が祈られました。

しかし15年経った現在でも、人口の回復はままならない現状があります。
原発事故により2022年まですべての町民が避難していた福島県双葉町では、避難解除後駅前にスーパーや交流施設が新しくできた一方で、町の居住人口はおよそ200人と事故当時の3%ほどに留まっています。

さらに復興庁によると、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた福島県などでは、現在もおよそ26,000人が避難生活を送っているとのこと。

また双葉町や大熊町など7つの市町村には、今も原発事故の影響で原則立ち入ることのできない「帰還困難区域」が、今もなお合わせておよそ309平方キロメートル残っているようです。

自主避難という選択

そして、震災をきっかけに福島から愛知へ自主避難したというリスナーからこんな投稿が寄せられました。

「私たち福島出身の家族にとっては忘れられない、いや、忘れることなどありえない日でした。震災の後当時1歳4カ月だった息子を守りたい一心で、愛知に自主避難する決意をしました。

右も左もわからない土地で迎えた息子の1歳半の健診の日。仕事も家も置いてきた、これからどうやって生きていけばいいんだろう。そう思いながら薄氷を踏む思いで過ごしていたあの頃を思い出すと、今でも自然と涙がこぼれてきます」(Aさん)

幼いこどもを抱え、着の身着のまま自主避難という道を選択したAさん。

東日本大震災後、地震の被害や放射能不安を恐れ、避難指示区域外から県外へ避難した人は約5万人以上だと言われています。

新たな故郷

Aさんの投稿はこのように続いています。

「あれから15年、あの時1歳4カ月だった息子は来月から高校2年生になります。ロボットで困っている人を助けるんだと、理工学部の大学を目指して毎日勉強を頑張っています。優しい青年に育ってくれました。

これも愛知の地で沢山の方々が手を差し伸べて下さったおかげです。3月11日は故郷を離れることになった悲しい日、でも同時に私たち家族が新しい故郷に出会えた日でもあります」(Aさん)

小高「15年って長いですから、1歳半だった子が高校生になるくらい。仕事も家もなかったけど、そこで生活基盤ができて、新しくここが故郷になったという生活になった時に、果たして戻れるのか」

福島の街の復興が進んでいるとはいえ、居住人口が当時の3%に留まっているというのも納得してしまうような投稿でした。
避難先で新しい生活を始め、仕事環境や人間関係も確立され、安心して生活できている。そうなった時にそれらを全て0にして、再び故郷に戻る選択を取るのはなかなか難しいのではないでしょうか。

自宅の防災を固める

改めて震災への備えを整えておく必要性を感じるとともに、小高には強く印象に残っている話があるのだとか。それは能登で震災が起こった時、避難所を運営していた方と話をした時のことだそう。

小高「どんなに避難所を整えてたとしても、たとえ自宅が壊れかけていても、そこに住めるのであれば、自宅の方がいいと感じるんですって」

実際に被災した方の実感として、整った避難所よりも壊れかけの自宅の方が心地よいのだとか。

小高「だからこそ自宅の防災対策や養生をしっかりしておかなければいけないし、自宅で避難生活を送るためにはどうしたらいいのかを合わせて考えておいた方がいいんです」

震災を風化させないよう経験や記憶を受け継いでいくとともに、「もしもの時にどうするか」を考える足掛かりにしていけるとよいですね。
(吉村)
 

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