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呪いではなく病魔退散。コロナ禍を機に蘇った鹿嶋市のわら人形

呪いではなく病魔退散。コロナ禍を機に蘇った鹿嶋市のわら人形

茨城県鹿嶋市には、病魔退散や家内安全を願う伝統的なわら人形があります。わら人形というと呪いの道具を連想しがちですが、実は悪霊を村から送り出すための「人形送り」の行事に使われてきたものです。1月22日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、鹿嶋市どきどきセンターのセンター長・石橋美和子さんに、その歴史や行事について伺いました。

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病魔退散を願う人形送り

人形は頭から足まで約50~60センチ。棒に刺すと高さは約1メートルになります。

稲わら、麦わら、まこもなど素材は地域によって異なり、茨城県から千葉県北東部の佐倉、四街道あたりから佐原(現在の香取市)周辺、利根川下流域にかけて広く作られていました。

人形の呼び名は地域によってさまざまで、単に「人形」と呼ぶところもあれば、「鹿島大助(おおすけ)人形」「大助人形」と呼ぶところもあります。

武神の力で鬼を退散

茨城県北部に伝わる話によると、昔、鹿島の神様が東北地方の賊を討とうとして戦になった際、兵の数が足りず苦労したため、それを助けるためにこの人形を作ったとされています。行事の際に「おー鹿島のおーすけ、鬼に勝ったみーさいなぁ」という囃子言葉を唱える地域もあるそうです。

鹿島神宮の祭神・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は武の神様として知られていますが、その強さを象徴する人形に悪霊をつけることで、鬼や悪魔を退散させ、戦いに勝つと考えられてきました。

石橋さんによると、鹿島の神様は歴史上の人物である徳川家康など特別な人からの崇敬はもちろん、庶民のさまざまな願いを叶えたり災いを払ったりしてくれる身近な守り神としても信じられているそうです。

太鼓と鉦の行列

行事の内容は地区によってさまざまですが、一例として昭和60年頃まで続いていた鹿嶋市の爪木(つまぎ)地区では、2月に稲わらで人形を家ごとに作り、年寄りが「悪魔祓い、悪魔祓い」と3回ほど唱えながら人形を左右に振って家内安全を祈っていました。

その後、午前9時頃に地区の神社の前に人形を持ち寄り、全員が集まったら「法眼様(ほうがんさま)」と呼ばれる役員を先頭に、村外れの広場まで太鼓と鉦(かね)を鳴らしながら人形を手に持って行列を作って歩いていきます。
広場に着いたら人形を立て、悪魔祓いと家内安全を祈る念仏を唱えます。この地区では仏教の行事と民俗行事が合わさったような形で行なわれていました。

行事の時期は地区によって異なります。鹿嶋市のように稲わらを使う地域は秋以降に、麦わらを使う茨城県北部では麦が取れた後の7月頃に行なわれています。

民俗行事のため正確な起源は不明ですが、江戸時代後半には行なわれていたと考えられています。

途絶えた伝統、コロナ禍で復活

長く続いてきた行事も次第に途絶えていきました。作り手がいなくなったことに加え、鹿嶋市に製鉄所ができるなど企業が進出し、農村から工業の街へと変化していったことも影響したそうです。昭和60年頃には、ほぼどの地区でも行事が行なわれなくなってしまいました。

転機となったのはコロナ禍でした。「行事をどうにか残したい、なくさないようにしたい」という思いから、残っていた人形を1体解体し、作り方を一から調べました。自分たちでも作れるように復活させたといいます。

「医学や薬学が発達していない時代、祈ることしかできなかった人たちの思いを、コロナを経験した私たちも共感できました」と石橋さん。

行事として残すことは難しいものの、文化やスポーツを振興していく組織として、次の世代に文化を伝えていきたいという思いで活動を続けているそうです。
(minto)
 

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