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尾張藩が熱狂!江戸時代に巻き起こったラクダブーム『絵本駱駝具誌』

尾張藩が熱狂!江戸時代に巻き起こったラクダブーム『絵本駱駝具誌』

11月12日放送のCBCラジオ『北野誠のズバリ』「松岡亜矢子の地元に聞いちゃうぞ」のコーナーでは、江戸時代の尾張藩の出来事を絵入りで詳細に記録した異色の武士・高力猿猴庵(こうりき えんこうあん)が描いた『絵本駱駝具誌(えほんらくだぐし)』を紹介しました。その記録から、4年待ちの末に尾張を熱狂させた「ラクダ興行」の全貌が明らかになります。

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江戸時代のジャーナリスト

松岡は、以前紹介した朝日文左衛門の『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』が好評だったことを受け、今回は尾張藩のもうひとりの記録魔を紹介しました。

高力猿猴庵、本名は高力種信。文章だけでなく色付きの絵も添えて詳細に記録したことから、「江戸時代のジャーナリスト」とも評される人物です。上手にわかりやすく描かれているため、当時の人々の熱狂ぶりを現代に伝える貴重な資料となっているそうです。

猿猴庵は100以上の出来事を『猿猴庵日記』として記しました。ただの日記ではなく、後に貸本屋などで公開されることを想定して書かれたもので、後世の人が読んでもわかるよう、周囲の状況まで細かく描写されています。

空前のラクダブーム

猿猴庵が記した中でも、特に有名なのが『絵本駱駝具誌』です。「具誌」の「具」は、細やかなことという意味があり、日本中に起きた空前のラクダブームを取り上げた一冊です。

松岡は、写本のコピーを北野誠に見せながら説明を続けます。綺麗な絵と読みやすい文字で描かれていて、非常にわかりやすいといいます。

書き出しには「この本は去年(1826年)大須観音で行なわれた駱駝興行の記録であり、駱駝の姿を忠実に写すことよりも、見世物の様子全体を記録し、後世に伝えることが目的だ」と記されています。

盛大な待ちぼうけ

ここからは、松岡が物語風にアレンジした現代語訳を交えて解説します

「ラクダブーム。事の発端は文政4年、オランダ船で長崎にもたらされたアラビア産のつがいのラクダです。上方から東へと向かい、行く先々でラクダ旋風を巻き起こしておりました。

京都や大阪で大評判となったラクダのことは尾張藩にも伝わり、まだこちらへ来ることが決まる前からラクダ人形や、ラクダのこぶの形をした櫛(通称ラクダ櫛)といった関連グッズが飛ぶように売れ、本物は一体いつ来るのか、と誰もが首を長くしておりました。

そしてついに、ラクダが東海道の脇道、佐屋街道を通るらしいという噂が届いてきました。人々は噂を信じ、松並木に続く街道に集まり、今か今かと待っていますが、待てど暮らせどラクダの姿は見えません。結局この時、ラクダは別のルートを通り、人々は盛大な待ちぼうけを食らったのでした」

夜中の極秘移動作戦

このがっかり感が、後の熱狂をさらに加速することになります。

「待ちぼうけから4年。ついにラクダが尾張藩へとやってきました。興行主は人目につかないよう、夜中にラクダを城下に入れようとしました」

記録には、暗がりでラクダに布を頭から引っかけて見えないようにしながら歩いている様子が描かれています。

「人目を避けて静かに移動してきたラクダ一行は、城下の西の街にさしかかります。ところが、街に入るためのゲートがなかなか開きません。町役人が知恵を働かせ、わざと手間取らせたのです。

おかげで地域住民たちは、興行が始まる前に誰よりも早く、ゆっくりとラクダの姿をおがむことができました。かつての待ちぼうけに一矢報いる形となったわけです」

ついに始まったラクダ興行

「尾張藩に入ってから数日後、ついにラクダ興行が始まりました。会場は大須観音の門前。提灯に幟、大きな絵看板が立ち並び、異国情緒あふれる祭りさながらの賑わいです。見物料金は32文」

これは、現代のお金で約1,000円。当時の感覚ではかなり高価でしたが、入場券は飛ぶように売れたといいます。

「会場に入ると、異国(唐人風)の衣装をまとったスタッフが口上を述べ終えると、鮮やかな色彩と繊細な模様が特徴の更紗の布がかけられたラクダが静かに登場しました」

猿猴庵の絵には、オスとメスがしっかり描き分けられており、メスはまつげが少女漫画のように長く描かれています。

現代にも通じる演出

「まず大根を食べる様子を見せ、さらにサツマイモを小さく切ったものを1切れ4文(約100円)で客に買わせ、それをラクダに食べさせるという余興が行なわれました」

現代のふれあい動物園で餌をあげる体験や、奈良の鹿せんべいのような感覚に近いものだったようです。

「ラクダに乗ったスタッフが笛を吹き、もうひとりは太鼓を打ち鳴らし、チャルメラのお囃子に合わせて小屋を1周するとラクダショーは終わり」

ラクダ興行は何か月もかけて毎日のように公演され、大盛況の中、次の興行地に向かっていきました。

猿猴庵は「都市文化の徒花(あだばな)のように短命だった」と記しています。それでも翌年に再興行されましたが、見物料を下げたにもかかわらず、客足はすぐに途絶えてしまったそうです。

ブームの終焉と悲劇

「見切りをつけた一行は次の場所へと向かいます。しかし、思いもよらない悲劇が訪れます。次の興行地へ向かうために、熱田から船に乗せようとしたところ、なんとメスのラクダが海に落ちてしまうという大騒動が起き、亡くなってしまいました。オスのラクダだけでその先の難波村に行きましたが、そこでオスのラクダも命を落としてしまいました」

このラクダ興行は11年も行なわれていたそうです。

猿猴庵の記録には、祭りやお寺のご開帳、お芝居なども記されています。これらの書籍は名古屋市博物館が刊行する『猿猴庵の本』として、名古屋市内の図書館でも閲覧できるそうです。

「こういう古書を探してみるというのも面白いかもしれません」と松岡は締めくくりました。
(minto)
 

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