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小松辰雄が語る1979年の衝撃。王貞治が悔やんだ一打と月間MVPの舞台裏

小松辰雄が語る1979年の衝撃。王貞治が悔やんだ一打と月間MVPの舞台裏

2月12日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』、この日のゲストは元中日ドラゴンズ投手の小松辰雄さん。「ドラゴンズスペシャル」のコーナーでは、インターネット上の百科事典サービス「Wikipedia(ウィキペディア)」でご本人に関する記載を紹介し、そこに書かれている内容を検証します。この日は小松さんのWikipediaから、1979年のエピソードを取り上げました。

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プロ初勝利、伝説の幕開け

以下、フリー百科事典『Wikipedia(ウィキペディア)』「小松辰雄」からの引用です。

「1979年、4月11日の対ヤクルト戦(ナゴヤ球場)で3番手で登板し、プロ初勝利を記録。リリーフとして一軍に定着し、チーム最多の54試合に登板し6勝9敗16セーブを記録。5月には14試合に救援登板し、1勝1敗5セーブの好成績で月間MVPを獲得した」

プロ2年目とは思えない、とてつもない活躍です。

小松「同点で出て行ってね、8回に高木守道さんが勝ち越しホームランを打ってくれたんですよ。それで、勝ち投手になって。お立ち台で、私と高木さんが一緒に写ったパネルが、今でも実家に飾ってあるんですよ」

素敵なエピソードです。

王貞治との対決

さらに、なんとこの翌日には初セーブも記録。小松さんは初勝利、初セーブを立て続けに達成しました。

シーズントータルではチーム最多となる54試合に登板。そして5月には、驚異の14試合にリリーフ登板し、1勝1敗5セーブを挙げ、見事月間MVPを獲得しました。

小松「いやいや、1勝1敗5セーブでMVPっていうのも、数字的には少ないでしょ?」

しかし、これには驚くべき秘密がありました。なんと小松さんはこの月、相手に1点の得点も許していなかったというのです。

そして迎えた5月の最終戦。小松さんは、月間30イニング目となる読売ジャイアンツ戦に、同点の場面でマウンドに上がりました。

ツーアウト、ランナーはセカンド。緊迫した状況で打席に立ったのは、あの王貞治さん。さらに、ジャイアンツの監督は長嶋茂雄さんでした。

「小松に悪いことをした」

「王シフト」により、レフトとサードはがら空き状態。

この時、長嶋監督は王さんに「流せ」のサインを出したといいます。

小松「それで王さんが流して、レフト線にポトっと落ちて、決勝ツーベースだったんです。それが30イニング目で取られたんですよ」

ここには意外なドラマがありました。王さんはこの時「30打席ノーヒット」。

小松「調子悪いのもあって、長嶋さんは『流せ』って出したかもしれないです」

その晩、王さんは「小松に悪いことをした。引っ張ってやれなかった」と荒れたというのです。

小松さんはこの王さんのエピソードを、のちに新聞記者の方から教えてもらったそうです。

最年少MVPを獲得

当時の月間MVPは投手と野手に分かれておらず、リーグでひとりでした。

この時、ジャイアンツの新浦壽夫投手が5勝0敗という好成績を残していました。それでも、コミッショナーの「小松にやれ」というひと言で、月間MVPは小松さんに決定したということです。

しかもこの月間MVPは、当時最年少記録でした。ちなみにこの記録は、その後デビュー戦でノーヒットノーランを達成した同じドラゴンズの近藤真市選手に抜かれたそうです。

「リスナーの皆さん、wikiへの内容変更ぜひお願いいたします」と、宮部和裕アナウンサーが呼びかけ、コーナーの最後は、この日話題となった1979年のヒット曲、西城秀樹さんの「ヤングマン」をオンエアして締めくくりました。
(minto)
 

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