中日OB荒木雅博「50本走塁」の真実!敵地での特訓が生んだ奇跡のプレー
1月29日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』、この日のゲストは元中日ドラゴンズの荒木雅博さん。「ドラゴンズスペシャル」のコーナーでは、インターネット上の百科事典サービス「Wikipedia(ウィキペディア)」でご本人に関する記載を紹介し、そこに書かれている内容を検証していきます。この日は荒木さんのWikipediaから、1999年のエピソードを紹介します。
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以下、フリー百科事典『Wikipedia(ウィキペディア)』「荒木雅博」からの引用です。
「1999年5月30日、ウエスタン・リーグのダイエー戦(福岡市雁ノ巣)で10回二死、二塁走者の荒木は単打で本塁を狙って走塁するが、前進守備の外野からの返球でアウトとなった。仁村(徹二軍監督)は「ここでセーフになれなかったらお前の存在意義がない」と叱責し、その場で二塁から本塁までの走塁練習を50本課した」
「これは事実ですか?」という宮部和裕アナウンサーの問いかけに、荒木さん。「50本までは行ってないと思いますけど」と答えました。
しかし、この試合直後の走塁練習は極めて異例の出来事でした。
敵地での前代未聞の特訓
当時の試合会場は、ソフトバンク(当時はダイエー)の本拠地、福岡・雁ノ巣球場でした。
通常であれば試合後は、ビジターチームは端っこの方で素振りや体幹をするものですが、なぜかこの日はドラゴンズがメインで使用。荒木さんは仁村監督から「お前、セカンド行け。セカンドからホームまで帰れ」と指示されたそうです。
荒木「あれ、誰が見てもホームには絶対帰れないですよ」
宮部「ここにも『前進守備の外野』って書いてますから、さすがの荒木さんでも」
荒木「セーフにならないのは多分、仁村さんたちもわかってたと思うんですけど」
どんなに頑張って走ったとしても、アウトは避けられないタイミング。しかし、それを何度も繰り返し練習させた仁村監督には、ある意図があったのではないかと荒木さんは振り返ります。
仁村監督の真意
荒木「そこに対しての僕の意識の持って行き方。もっと走塁に対して、『お前、そこで生きていかないと、もう一軍でやっていけないぞ』っていうのを多分植えつけたかったのかな」
宮部「荒木さんの、そのストロングポイントのひとつ、生きる道を」
Wikipediaには「50本」とありますが、荒木さんは実際の本数は覚えていないそうです。ただ、それに近い数字ではあったといいます。
荒木「もう延々と2塁から走りました」
宮部「50本って。キャンプでもそんな見ないですよね」
荒木「走りましたよね」
しかしこの時の厳しい特訓が、のちの栄光に繋がったそうです。
特訓が生んだ「奇跡の走塁」
荒木「それがあって、ヤクルトとヘッドスライディングした時に、『あれがあったからかな』っていうところに結びつけるようにしました」
超前進守備のヤクルトから、二塁走者の荒木選手が本塁クロスプレーで勝ち越しを決めた、あの「奇跡の走塁」です。
宮部「あれもあったし、ハマスタでもあったり、もちろんバンテリンでもあった。それに繋がっている」
荒木「繋がったんじゃないか、っていう風に。結局、自分が何か成功を収めた時は、『何かが原因で、要因があって』っていうところを、どこに自分が持っていくかでありまして。だから、いろんなことをしといた方がいいんですよ」
さまざまな経験が力になる、ということです。
経験を糧に前進
荒木「『あれがあったから、自分はここでセーフになれたんだ』。この時はそれを感じましたね」
宮部「繋げて手繰り寄せたのは、荒木さん自身ですしね。それを作った。で、コーチは導いた要因もある」
荒木「っていう風に。今だとね、そこまでやらせてしまうと、またいろんなこと言われたりするかもしれないですけど。自分としてはいい経験になりました。自分の野球に対して、めちゃくちゃやらされることに対しては、僕はもう、なんとも思わなかったのでね」
この向上心と素直さが、"荒木雅博"という選手を作り上げたのかもしれません。
思い出の登場曲とともに
コーナーの締めくくりに、荒木さんが2008年に使用していた登場曲、ケニー・ロギンスの「デンジャー・ゾーン」をオンエアしました。
宮部「これで厳かに、でも軽快にバッターボックスに入って、すぐ塁に出て。さっきのホームインの瞬間を迎えるわけですよ」
荒木「『懐かしい』っていうと、年取った感じがしますね」
宮部「決してそんなことはないですけど。この曲でっていう印象が一番強くて。出て、飛ぶようにホームに返ってくるまでが、コミコミ」
荒木「いろんなしんどいこともありますけど、何かやっておいたらそのうちいいことあるかもねっていう話ですよ」
その言葉には、26年前の特訓と、そこから得た確かな成果の記憶が込められていました。
(minto)