影山ヒロノブ、初めてアニソンを依頼された心境を明かす
9月15日、シンガーソングライターの影山ヒロノブさんが、CBCラジオ『小堀勝啓の新栄トークジャンボリー』に出演しました。アイドル的人気を誇ったロックバンド・レイジーでデビューし、いつしか「アニソン界のプリンス」と賞されるようになった影山さんに、小堀勝啓がその経緯を尋ねます。
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まずは影山さんがレイジーでデビューした当時の話から始まりました。
影山「自分たちはディープパープルみたいなハードロックなバンドが大好きで、デビューしたらそういう音楽で勝負できるのかなと思ったんですけどね」
バンド名の「レイジー」はディープパープルの曲名が由来。
デビュー当時、イギリス出身のアイドルバンド、ベイ・シティ・ローラーズが世界中で人気でした。そのため所属プロダクションやレコード会社はこの路線に持って行きたかったようです。
大阪から出てきたレイジーは、まずまず髪の毛をバッサリ切られたそうです。
影山「当時、ハードロック好きなやつってロンドンブーツとか履いてたんですけど、そういうのは絶対ダメだよって言われましたね」
アニソンの仕事が来た
そのレイジーをいち早く認めていたのが、あのかまやつひろしさんでした。
影山「かまやつさんは俺たちの気持ちもわかってくれて『レイジーはもっとこういうのをやった方がいいんだよ』って戦ってくれたんですけど、売れることが第一でしょみたいな流れになっていった」
その後、レイジーは解散。
影山さんはスーパー戦隊シリーズ『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌で、シンガーとして起用されたことをきっかけに、ヒーローソング、アニメソングを歌うようになります。
ハードロックを志向していた影山さん、アニソンを歌うことに抵抗はなかったのでしょうか?
影山「レイジーが解散して、メインストリームじゃない時代が3~4年続いてたんで、アニソンの仕事を依頼された時は、久しぶりに世間が影山ヒロノブを必要としてくれたって気がして、正直めちゃめちゃ嬉しかったんですよ」
人気が出た要因を分析
現在では「アニソン界のプリンス」と呼ばれる影山さん、その要因を冷静に分析しました。
当時のアニソン界では、ささきいさおさんや水木一郎さんといった、歌い上げる感じのレジェンドシンガーが活躍していました。
それに対し、影山さんはハードロックを経た新しい世代にあたります。
影山「ちょうどその頃、アニメソングのサウンドもロック指向で行こうという時だったんです。プロデューサーもロック系のシンガーを使ってみようかなと思ってくれてたとこだったんですよ」
そこにピッタリとハマったのが影山さんだったのです。
海外コンサートも盛況
今やアニメ関連のコンテンツは世界規模のマーケット。影山さんも海外で何度もコンサートに出演しています。
影山「日本のアニメ周りのカルチャー、ゲームとかコスプレとか全てを世界中の若い人たちが、知らない間にインターネットを使って愛してくれるようになってたんですよね。僕も本当にびっくりしました」
コンサートで訪れたのはなんと20か国以上とのこと。
影山「向こうもカゲヤマを初めて見る、みたいな感じなんで、ドラゴンボールの曲とかを歌うと盛り上がります。みんな、日本語でめっちゃくちゃ歌いますよ」
月に2回はライブ
小堀「こうやって生で話してても、影山さんは声の風圧がすごいですね(笑)。かめはめ波が飛んで来てるみたいなすごいもんだなあと思いましたけど。普段からボイストレーニングとかされてるの?」
影山「いま63歳なんですけど、還暦越えてからコンディションを維持するために家で歌う量が増えましたね」
今年8月には人気ゲーム『崩壊:スターレイル』のパーティー用ソング「STARRAIL DISCO ~踊れ開拓者~」をリリース。
また20年以上続けているピアノとアコースティックギターのライブ「ソロアコギの旅」など、シンガーとして精力的に活動している影山さん。
「ソロアコギの旅」は毎月2カ所、全国のどこかへ歌いに行くそうです。
影山「アニメソングがメインなんですけど、初期のレイジーの曲も交えながらやっています。初めて見る方に、影山をわかってもらうにはめっちゃめちゃおススメです(笑)」
影山ヒロノブさんの精力的なライブ、小堀が言った通り「かめはめ波」が飛んでくるかもしれません。ぜひご覧ください。
(尾関)