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名古屋は地下鉄が全線ストップ、線状降水帯による豪雨26年ぶりの体験記

名古屋は地下鉄が全線ストップ、線状降水帯による豪雨26年ぶりの体験記
名古屋高速のインター通行止め:筆者撮影

暮らしている町で、線状降水帯に遭遇することになった。2026年(令和8年)夏は、千葉県や北陸地方などで集中豪雨による被害が相次いだが、夏から秋への変わり目となる二十四節気の「白露」の夕暮れ、名古屋市は時ならぬ大雨に襲われた。

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「東海豪雨」の思い出

26年前もほぼ同じ時期だった。2000年(平成12年)9月11日夜から翌日未明へ、台風をきっかけに生じた線状降水帯による大雨によって、愛知、岐阜、三重の東海3県は豪雨の被害に直面した。名古屋市内も一部が水没して、死者も出た。被災した住宅は7万棟以上という水害となり「東海豪雨」として歴史に刻まれている。筆者はそれを報道するニュースの現場にいたが、当時はまだ「線状降水帯」という言葉もそれほど知られておらず、当日の原稿で使用した記憶が薄い。

線状降水帯は予測されていた

歳月が流れて「線状降水帯」は、気象庁による「予測」の対象となった。狭い範囲で雲が次々と発生してそれが線のように連なり、と説明する必要もないほど、「線状降水帯」はよく知られる気象用語になった。「半日前予測」に加えて、2~3時間前を目標に「直前予測」も新たに始まった。2026年9月8日の火曜日は、東海地方にそんな注意も呼びかけられていた。それは認識していた。昼間は雨が降ったり止んだりで、名古屋の中心部にある職場を出て、自宅方面にある耳鼻咽喉科に向かったのは午後3時すぎだった。まだ傘を差す必要がなかった。

雨の中の耳鼻科医院

市営地下鉄に乗って10分ほど、駅に降りて地上に行くと、そこは“土砂降りの世界”になっていた。徒歩5分で医院の玄関にたどり着くが、靴の中には水が入り込み、ズボンの裾もかなり濡れていた。午後の受付は始まったばかりで、1番目だった。自分に続く患者は誰も来なくなるとは、その時点では思いもよらなかった。到着して5分後に外を見たら、いつのまにか医院の前の道路は“川”になっていた。トイレから「ゴボゴボ」と奇妙な音が聞こえ始めた。冠水の場合、トイレが逆流することがあるという。そこに携帯電話の音が鳴り響く。名古屋市からの災害情報だった。市内随所で避難情報が出始めた。

医院前の道路は川になった

耳鼻科医院の前は冠水:筆者撮影

治療は、午後4時10分に終わったが、帰ることができない。医院の前の濁流はますます激しくなっている。どこからか赤いカラーコーンが流れてきて、道路の中央で停まった。それを避けるように、時おり車がしぶきを上げて通過していく。まるで浮いているようだ。こんなことなら、検診を後日に延期して職場に残っていればよかったと思った。しかし、そうではなかった。その後悔した直後に、名古屋の市営地下鉄は全線でストップしていた。今度は帰宅が困難になっていた。

地下鉄全線ストップの衝撃

冠水した道路(名古屋市千種区):筆者撮影

名古屋市営地下鉄の運休は、午後10時半頃まで5時間にわたって続いた。地下鉄としては全国初と注目された環状線があるなど、市民を含めて多くの人たちの大切な“足”である市営地下鉄。それが全線でストップする、とんでもない事態だった。それもそのはず、名古屋の1時間あたりの雨量は104.5ミリを記録した。1890年の統計開始以来で過去最大だという。1890年は明治23年、それだけ稀有な量の雨だった。

鳴り続く携帯電話

冠水した本山交差点(名古屋市千種区):筆者撮影

携帯電話に届く名古屋市からの災害情報の数も、経験ないほどに多かった。着信音がひっきりなしに鳴る。しかし、情報がきちんと届けられることはありがたく、防災システムが機能していることの証しだった。ただ、実際にそれを“我が身として”受け取ってみると、今の自分が置かれた位置、家族の位置、次にどう動くのかなどを、瞬時に判断することは難しかった。対象となるエリア範囲、そして示されるレベルの数字にも戸惑った。日頃から情報内容のシミュレーションを事前にチェックしておけばよかったと思い、同時に、伝える内容の精査も今後さらに進めてほしいと思った。

帰路で遭遇した風景

名古屋高速のインター通行止め:筆者撮影

土砂降りの雨が少し収まったタイミングで、雨宿りさせてもらっていた耳鼻咽喉科を出て、20センチほどズボンを濡らしながら、帰路に着く。待合室には誰も患者はおらず、院長とスタッフに「気をつけて」と見送られての出発だった。幹線道路は東西方向も南北方向も車が連なって大渋滞し、名古屋高速道路のインターも冠水のため、通行止めになっていた。歩いている途中、マンホールの蓋が10センチほど外れていた。おそらく雨水が噴き出したのだろう。ぐしょぐしょの靴を使って、それを元に戻し家路を急いだ。

一夜明けて、名古屋市内の学校は臨時休校になったものの、東海豪雨の時ほどの大きな被害の拡がりはなく、街は動き出していた。しかし、「別の場所で起きている」と思いがちな自然災害も、“明日は我が身”いや“今日午後には我が身”なのである。あらためて身が引き締まる思いに包まれた「白露」の午後だった。

【東西南北論説風(718)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

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