「グループサウンズ」の時代~日本の音楽史に刻まれた輝けるスターたちの思い出

「グループサウンズ」の時代~日本の音楽史に刻まれた輝けるスターたちの思い出

生まれて最初に好きになった歌、それは「グループサウンズ」だった。ビートルズから音楽という世界に入った同世代の友人も多いのだが、私の場合は、そのビートルズに感化されたメンバーによる、日本生まれの「グループサウンズ」をきっかけに、いろいろな音楽を聴くようになったのである。

グループサウンズの登場

戦後の日本が、高度成長期の真っ只中の1960年代後半だった。エレキ、ベース、サイドの3種類のギター、ドラムス、そしてボーカルを基本とした編成のバンドが、ジャズ喫茶やゴーゴー喫茶などで活動を始めた。そんな彼ら、そして、彼らが奏でる音楽は「グループサウンズ」と呼ばれた。略称「GS」とも言う。

ピーク時は100を超す

代表的なグループは、最初にデビューしたとされるザ・スパイダース、それに続いて、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ザ・ワイルドワンズ、そして、ザ・タイガースなどで、多い時は100以上のグループが活動した。当時の日本は、ビートルズやローリング・ストーンズなど海外のバンドの影響で、エレキギターが大ブームだった。その波に乗って、グループサウンズは次々と生まれ、当時のテレビの歌番組には、毎回、複数のグループが登場して、持ち歌を演奏した。

レコード大賞も受賞

CBCテレビ:画像『写真AC』より「ステージ」

ブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』は、レコード150万枚を売る大ヒットを記録した。そして、1967年(昭和42年)の日本レコード大賞を受賞した。GSブームは絶好調で、当時の社会現象でもあった。こんな替え歌を歌った人も多いのではないだろうか。『ブルー・シャトウ』の歌詞「森と泉に囲まれて」を「森トンカツ、泉ニンニク、かコンニャク、まれテンプラ」と、食べ物の名前を加えて、私たちは子ども時代によく歌った。それほど、親しまれた歌でもあった。

長髪への厳しい視線

人気絶頂のグループサウンズだったが、日本中の人たちがこぞって応援していたわけではない。いわゆる“世間の大人たち”は、実は厳しい視線を送っていた。それは“エレキギター”に対してであり、それを演奏する彼らの多くがそうであった“長髪”に対してだった。GSに先立つウエスタンカーニバルでも、出演者は「不良少年」、それを応援するファンは「不良少女」と見られる風潮があり、それが続いていた。

紅白には出られない

象徴的な出来事は、グループサウンズが、NHKの「紅白歌合戦」に出場できなかったことだ。多くのグループがヒット曲を連発して、日本の音楽界を席巻していたにもかかわらず、長髪などへの抵抗からか、一向にお呼びはかからなかった。唯一、髪の毛を短くきちんと切りそろえ、スーツにネクタイ姿だったブルー・コメッツだけは出場して、レコード大賞受賞曲を披露したのだった。小学生だった私は「他のグループの人たちは、髪の毛が長いから出られないのよ」と親に聞かされた記憶がある。そんな認識だった。

ファンの失神騒動

それでも、グループサウンズの人気はすさまじかった。話題になったのは失神騒動である。『ガールフレンド』という曲でデビューしたオックスは、特に熱狂的な女性ファンが多く、ステージ上でオックスのメンバーが歌いながら失神したりすると、会場のファンも興奮のあまり、一緒に失神したのだ。名曲『スワンの涙』の曲間セリフ「あの空は あの雲は 知っているんだね」は、たしかに女性ファンの心をわしづかみにした。この“失神現象”はニュースにも取り上げられた。教育的に良くないという批判も起こり、「騒動を起こすGS」的な印象から、さらに社会的に受け入れられない状況に拍車をかけたのだった。

バンド音楽への道しるべ

CBCテレビ:画像『写真AC』より「シンバル」

多くの大人たちから冷たい視線を浴びていたグループサウンズだったが、このブームをきっかけに、いわゆる「バンド演奏」を始める若者が登場し始めた。楽器をひとりで演奏するのではなく、グループで演奏する。高校や大学にも、そんなクラブや同好会がお目見えするようになった。バンドでの音楽は、その後、脈々と日本の音楽シーンに歴史を刻んでいる。その意味で、グループサウンズは「日本における音楽を変えた」とも評価できる。

人材の宝庫だった!

グループサウンズの寿命は、わずか3~4年と短かった。GSのスターたちは、まさにその短い歳月を“駆け抜けた”。しかし、そこから多くの才能が開花していった。ザ・タイガースの沢田研二さんは“ジュリー”人気のまま、ソロ歌手として大活躍。リーダー岸辺一徳さんも俳優としての地位を築いた。ザ・テンプターズのボーカル、ショーケンこと萩原健一さんも、役者として成功した。さらに、中心的なバンドだったザ・スパイダースの堺正章さんや井上順さんら、グループ解散後に幅広く活躍した人材は、あまりにも多い。

昭和の歌謡史にとどまらず、日本の戦後の芸能史を語る上で「グループサウンズ」は、欠かすことのできない、まさに時代を象徴するブームの“立役者”だったと言える。今なお、時おりそのサウンドを聴くと、胸がときめいて、懐かしさがこみ上げてくる。

          
【東西南北論説風(483)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』
昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。
CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介しています。

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