遺体確認のため子どもの足に名前を書く親たち~ガザ発の悲報に平和を祈る~
それはあまりに悲しいニュースだった。米国CNNの報道によると、パレスチナ自治区のガザ地区では、親たちが自分の子どもの足に、その名前を書いているという。爆撃によって死亡した時に、身元が確認できるようにするためである。誕生した時に、いっぱいの愛情でわが子につけた名前を、そんな目的のために書く親の心情に、胸が張り裂ける思いがする。
2000人以上の子どもが犠牲に
パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するハマスとイスラエルが戦闘状態に入ったのは、2023年10月7日だった。ハマスによるミサイル攻撃、さらに自治区の壁を破ってイスラエル国内での殺戮と人質拉致という“奇襲”だった。イスラエルもガザ地区へのミサイル攻撃で報復し、地上侵攻のための態勢も整えた。戦闘状態は続く。それから2週間余り、ガザの保健当局は、衝突が始まってから、2000人以上の子どもが死亡したと発表した。CNNが報じたように、親によって、ふくらはぎに名前が記された子どもたちの遺体もある。
病院の爆発はどちらが?
ガザ地区にある病院で大きな爆発があったのは、10月17日の夜だった。ガザ地区側によって471人の死亡が発表されたが、この爆発については、いまだに原因は分かっていない。ハマス側は「イスラエル軍による空爆」だと主張し、イスラエル側は空爆を否定した上で「ハマスとは別の過激派による誤爆」と主張。両者の言い分は、真っ向から対立している。
サラエボ市場の惨劇の記憶
思い出すのは、今から30年前のボスニア紛争(旧ユーゴスラビア紛争)である。セルビア人、クロアチア人、そしてイスラム教徒の3者が対立した民族紛争。1994年2月、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの市場に砲弾が撃ち込まれ、60人以上の市民が死亡した。米国などの西側諸国は「セルビアによる砲撃」として、大規模な空爆の報復を準備したが、一方のセルビア側は「イスラム教徒側による自作自演」と主張した。この時の危機は、国連の明石康・事務総長特別代表の調停によって「NATO(北大西洋条約機構)による空爆は見送り」となったが、どちらが仕掛けたのか、原因は不明のままだった。国と国との緊張状態の中では、時に思いもかけないことが起きる。それによって戦いの火ぶたが突然切られる。当時、取材に訪れていたサラエボの街で、身に沁みて味わったことだ。
いつも犠牲になるのは市民
当事者どちらによるものか、それとは別にはっきりしていることは、犠牲になるのが多くの場合で、一般市民だという現実である。市民が買い物をしている市場への砲撃、そして、多くのけが人に加えて避難民も集まっている病院での爆発、いずれも言語道断な行為である。今回のガザ地区の病院爆発は、偶然なのか狙ったものなのか、米国バイデン大統領の訪問直前のタイミングだった。バイデン大統領はイスラエル側とは会談できたものの、もう一方のパレスチナ自治政府などアラブ諸国側との会談は、キャンセルせざるを得ない結果となった。事態収拾の道筋は一気に不透明になってしまったが、その陰で多くの市民が命を失った。
ウクライナに続いて、今、中東の地でも、本格的な戦争が起きようとしている。地球は、今その上に2つ目の戦争を抱えることになるのか。ガザ地区への人道援助として、国連によって救援物資が運び込まれているが、肝心なことは戦いを起こさせないことである。当事国のリーダーたち、そして世界の指導者たちに対して、これ以上、わが子の足に親が名前を書くという悲しい行為をさせないよう、心から願う。
【東西南北論説風(463) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】