地下鉄駅のつばめたちが連れて行ってくれた『幸福な王子』への懐かしき旅
名古屋市内のとある地下鉄駅の階段出口に、つばめが巣を作った。元気な鳴き声に気づいて見上げると、ひなが4羽、大きな口を開いて親鳥を待っていた。通る度に巣からのぞくひなの頭は大きくなっていき、巣からはみ出そうなほどに成長した頃に暑い夏が来た。
そんなつばめたちの成長との偶然な出会いに、ふと、子どもの頃の夏休みに読んだ絵本を思い出した。『幸せな王子』というタイトルだった。なぜか突然、読み返してみたくなったが、当時の絵本が手元に見つからない。書店に行って見たら、絵本の代わりに文庫本が見つかって、早速購入した。アイルランド出身の詩人で作家、オスカー・ワイルド作『幸福な王子』を半世紀以上ぶりに手に取った。
※ワイルド作(西村孝次訳)『幸福な王子-ワイルド童話集-』(新潮社・1968年発行/2020年83刷)
ある町に、全身を金箔で覆われ、目に2つのサファイア、刀には赤いルビーが輝く「幸福な王子」の像が立っていた。そこにエジプトで越冬する途中の1羽のつばめが立ち寄る。王子は町の人たちのことをいつも見ていて、悲しい人を見ると涙を流す。そんな王子に頼まれて、つばめは王子の身体から、刀のルビーやサファイアの目を、病気の男の子、貧しい作家の青年、幼いマッチ売りの少女に届ける。目が見えなくなった王子を見て、つばめはエジプトへ行くことをあきらめる。王子に代わって、つばめは町を飛んで、飢えで苦しむ子どもたちなど貧しい人々のことを伝え、王子は自らの身体に貼られた金箔を剥がして届けるように頼む。やがて冬が来て雪が舞う。力尽きたつばめは王子の像の足元で死に、ボロボロの姿になった王子の像は町の人たちによって撤去される。
子どもの頃に読んだ悲しいストーリーはほぼ覚えていた。絵本ではまるごと1冊だったものが、文庫本ではわずか16ページ、数ある短編の中のひとつであることに驚いた。町の人たちの幸せを願い続けてわが身を犠牲にした「幸福な王子」像、そして暖かい国への旅をあきらめて町に留まって、王子の手となり目となって人々に尽くした1羽のつばめ。大人になってから久しぶりに読んだ小説『幸福な王子』は胸に刺さった。新型コロナウイルス感染の脅威が世界中を席巻して2度目の夏を迎えた。会いたい人に会えなかったり、行きたい場所に行けなかったり、感染を防ぐための制約は、知らず知らず社会の営みを狂わせ、人の心を苛(さいな)んでいる。その“町”は決して物語ばかりではないのだ。
実は今回の読書で、忘れていた大切な結末を再認識した。捨てられた王子の像の中にあった鉛の心臓だけは、町の人たちが炉に入れて溶かそうとしても溶けず、つばめの死骸の横に捨てられる。そんな中、神様がひとりの天使にあることを命じたのだった。それは?
幸福な王子とつばめ、その結末は是非、それぞれで読んでみてほしい。大人になってからの“夏の読書”は思いがけない感動を運んでくれた。
地下鉄駅のつばめの巣は、ある日、空っぽになっていた。子どもたちの旅立ちは突然だった。その旅路に幸多かれと願うと共に、ひょっとして1羽は、どこかの国のどこかの町で「幸福な王子」のお手伝いをしているかもしれないと、一瞬だけ真夏の夢を見た。
【東西南北論説風(254) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
<引用>ワイルド作(西村孝次訳)『幸福な王子-ワイルド童話集-』(新潮社・1968年発行/2020年83刷)