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老舗デパート「名鉄百貨店」が閉店、在りし日の数々の思い出と不透明な未来

老舗デパート「名鉄百貨店」が閉店、在りし日の数々の思い出と不透明な未来
閉店翌日の名鉄百貨店:筆者撮影

そのシャッターは下りたまま、開くことはなかった。名古屋駅前の名鉄百貨店本店が、2026年(令和8年)2月末に営業を終え、71年もの長い歴史に幕を下ろした。

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閉じられたシャッター

閉店翌日の名鉄百貨店:筆者撮影

閉店から一夜明けた3月1日、名古屋の街は「3月」のカレンダーに合わせるかのように、春めいた陽射しに包まれた。名古屋駅界隈は、日曜日を楽しむ多くの人でにぎわっていたが、前日まで開いていた名鉄百貨店のシャッターは閉じられたまま、そこに「71年分の感謝を、心から。」と書かれた文字が、淋しさを誘っていた。立ち止まって名残惜し気に見つめる人もいた。

駅前の老舗デパートの歩み

名鉄百貨店が開店したのは、1954年(昭和29年)の暮れだった。名鉄電車の駅の真上にある便利なデパートとして、高度成長期の波に乗り、多くの買い物客が利用した。1967年(昭和42年)には、近鉄百貨店のビルをはさんで別館「メルサ」が、さらにその南側には「セブン館」がオープンするなど、南北に長いショッピングビルとして成長していった。百貨店の中には「名鉄ホール」もあり、演劇やコンサートなど、文化の拠点としての役割も担った。

館内の懐かしい風景

名古屋生まれの名古屋育ちという筆者も、幼い頃から、数えきれないほど訪れてきた。当時は「毎週木曜が定休日」だったことも懐かしい。名鉄百貨店の本館は、1階フロアに、少し上がった「中2階」とも言えるフロアがある、不思議な構造だった。それに伴い、エスカレーターの導線も、単純に上り下りするのではなく、少し迂回を余儀なくされた。そこが他のデパートとは違い、何ともユニークだった。

貴重なエスカレーターの存在

貴重な手すりは直角のエスカレーター:筆者撮影

エスカレーターと言えば、8階から9階の間に2台あったものは、面白い造りだった。通常は手すりが丸く巻き込まれる構造だが、このエスカレーターは、床に向かって“垂直”に落ちる形になっている。今回の閉店を迎えるにあたって注目し直された。世界で現存するのは、この2台だけだと言う。筆者がお別れに訪れた日も、次々と、スマホで撮影している人の姿があった。

メルサ館の思い出

子どもの頃は、本館のおもちゃ売り場からメルサ館に移動して、『王様のアイデア』というショップを訪れることが多かった。6階に近鉄百貨店の背後を通る“通路”があり、そこを行き来した。『王様のアイデア』は、日用雑貨から玩具まで、数々のユニークなアイデア商品が扱われていて、子どもにとっては“ワンダーランド”だった。その隣にあった『ヤマギワ電機』では、数えきれないほど沢山のレコードを買った。映画館『名鉄東宝』にも通った。これらも名鉄百貨店の大切な思い出のひとつである。

“食”にとっても大きな存在

階上のレストラン街にあった中華料理店『桃源亭』は、大好きな店だった。もうかなり前に本館から撤退してしまったが、買い物へ行く楽しみと共に、美味しい焼売やチャーシュー麵の昼食は、大きな魅力だった。地下の食料品売り場は、今回の閉店直前まで、よく利用した。新鮮な魚や野菜、美味しいフライや天ぷらなどの惣菜、風味豊かな漬物、そしてお酒類など、お手頃の値段で買い物ができた。その意味で“敷居の低い”親しみあるデパートだった。家庭の食卓にとっても、今回の閉店は大きな出来事となった。

「近鉄パッセ」もお別れ

近鉄パッセも閉店:筆者撮影

名鉄百貨店だけではなく、隣の近鉄百貨店も同時に閉店した。ここは専門店が入る形態になってから「近鉄パッセ」の愛称で、ファッションやカルチャーを中心とした品揃えによって、若い女性に人気だった。ある意味では「聖地」ともなっていた。6階にあった『星野書店』は度々通った。『水滸伝』シリーズ全19巻を書き上げた後、著者の北方謙三さんによるサイン会があり、駆けつけたことも懐かしい思い出である。10代から20代の女性たちにとっては、淋しい春になったことだろう。

再開発計画が頓挫して

百貨店はなくなっても残るナナちゃん人形:筆者撮影

今回の名鉄百貨店などの閉店は、名古屋鉄道による再開発計画によって決まり、発表されていた。お別れの覚悟もできていた。時代の流れと納得もしていた。しかし、それ以上の淋しさと残念さが胸に去来しているのは、将来の姿が不透明になってしまったことと無関係ではないだろう。名鉄は再開発計画の見直しを発表して、百貨店が入っていたビルの解体や建て直しについても、現時点では“白紙”となった。親しんできた百貨店の姿が、当面はそのまま残ってしまうだけに、余計に「閉店」の重さが、のしかかってくるような別れとなった。

再開発計画が変更されたことで、シンボルのナナちゃん人形は、春以降も現在の場所に残る。71年の歴史の幕を下ろした名鉄百貨店の“その後の姿”は、私たちと一緒にナナちゃん人形も見続けることになる。

【東西南北論説風(671)  by CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】

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