老舗デパート「丸栄」閉店・名古屋の文化と歩んだ秘話
今年で64回目を迎える名古屋まつりの最大の呼び物は「郷土英傑行列」である。
地元が生んだ三英傑、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人の武将の部隊が2日間にわたって名古屋の都心を練り歩き、尾張名古屋の秋を華やかに彩る。3つの隊に少年鼓笛隊を合わせた4つを提供してきたのが頭文字から「4M」と呼ばれる名古屋の各デパートだが、この内の秀吉隊を担当してきた「丸栄」が2018年6月末で閉店する。
丸栄は名古屋の老舗デパートである。前身の呉服店「十一屋」創業は関ヶ原の戦いから15年後の1615年、実に400年以上の歴史を持つ。「丸栄」となってから今年がちょうど75周年になるが、その記念イヤーに暖簾を下ろす。
郊外のショッピングモールやインターネット通信販売などによる影響で全国的にも百貨店の閉店が相次いでいる中、名古屋という大都市でのデパート閉店は珍しい。
丸栄は日用品や食品を買い求めやすく根強い人気があった。「4M」他社が東京や大阪の大手百貨店と提携していった中、丸栄は「個店」の道を歩んできた。ある意味ではそれが地元密着デパートの王道だったかもしれないが、時代の波はそれを押し流した。
しかし、百貨店の存在は、単に商品を売るだけではない。「生活と文化を結ぶ」というのは、丸栄より早く創業したもうひとつの老舗百貨店・松坂屋のよく知られたキャッチフレーズだが、百貨店にはまさに「文化」がある。
郷土英傑行列での大きな転機とは?
郷土英傑行列で丸栄が担当してきた豊臣秀吉隊に大きな転機が訪れたのは1996年(平成8年)のことだった。
英傑行列にはそれぞれヒロインが存在する。信長隊には濃姫、家康隊には孫の千姫、そして秀吉隊には淀君だったのだが、秀吉出身地である名古屋市中村区の商店街組合から「なぜ正妻である『ねね』ではないのか」という声が巻き起こり、名古屋市が「淀君」から「ねね」へとヒロインの交代を決めたのだ。名古屋まつり42回目にしての大きな変革だった。頭を抱えたのは丸栄の行列担当者である。実は英傑行列は単にヒーローやヒロインが練り歩くだけの行列ではない。ちゃんとしたコンセプトが存在する。秀吉の横に淀君がいる行列は、秀吉晩年の有名な「醍醐の花見」を舞台に演出されていた。その設定変更を余儀なくされたからだ。
検討の末、設定を「醍醐の花見に向かう行列」とした。それによってバリエーションが拡がり隊はにぎやかになった。秀吉と当時の琉球王朝との交流から、沖縄のエイサーも参加することになった。
淀君が祀られている大阪の太融寺では当時「淀君とねね、一緒に行列に参加することはできないのだろうか」という声も聞かれたが、妻妾は同時に並び立たず、正妻が側室を追い出した形となった。淀君役は丸栄の女性職員が毎年演じてきたが、その年は初代ねね役に名古屋出身の女性歌手・真咲よう子さんを起用して、この交代劇を演出したのだった。
名古屋の文化と歩んだ「文化」
1999年(平成11年)に拡大したヤングレディースフロアには若い女性が殺到した一方で、フロアに鳴り響く大音響や派手な照明を敬遠して昔からの顧客が離れていく一因になったと言われる。当時流行ったパラパラダンスを英傑行列に採り入れたのも丸栄だった。秀吉隊に続くパレードカーの上でパラパラを踊る若い女性の姿を沿道で見た時は、時代も変わったと驚いた記憶がある。もちろん賛否両論あろうが、これも「文化」の風景だった。百貨店が「文化」をフォローしていた証しとも言えよう。
そんな秀吉隊は、今年の名古屋まつりからジェイアール名古屋タカシマヤが受け継ぐことになった。「4M」の存在を大きく揺るがしてきたタカシマヤがいよいよ郷土英傑行列に参入する。そこからどんな新たな「文化」が発信されていくのだろうか。
丸栄の名物催事のひとつに「鉄道模型展」がある。最後の開催となった今年のゴールデンウィーク、会場は鉄道ファンを中心に大勢の人でにぎわった。鉄道模型が走る街の風景の中に丸栄の建物のジオラマが展示されていた。数々の列車が走る風景と同等に、ジオラマをスマホなどで写真に収める人が多かった。それは名古屋の街の文化を長きにわたって支えてきた百貨店への惜別のシャッター音のようだった。
2018年6月30日、名古屋の歴史そして文化と歩んできた丸栄は故郷の街に別れを告げる。