立浪ドラゴンズは最も有利だった指名順を活かせたか?竜2023ドラフト総括
1位指名を公表した限りは、是非その選手を獲得してほしかった。これは、多くのドラゴンズファンの本音であろう。立浪ドラゴンズ3年目に向けてのドラフト会議が終わった。
公表した1位指名を逃した
即戦力投手の1位指名かと思われた中、立浪和義監督は、ドラフト会議前夜に、社会人ナンバーワンスラッガーの呼び声高い、度会隆輝(わたらい・りゅうき)選手の1位指名を公表した。単独指名かとの予想もあったが、ふたを開けると3球団による競合となって、ドラゴンズは抽選に敗れた。まさかの結果だった。
ドラフト会議は「戦力補強」という目的と共に「チームに勢いをつける」という、もうひとつ大切な役目がある。かつて星野仙一監督や与田剛監督が、当たりくじを高々と上げたシーンに、ファンも大いに胸を熱くしたものだ。2度目の1位入札、そして今度は抽選に勝って、亜細亜大学の草加勝投手の指名権を獲得した。
内野手にこだわる立浪竜
今回のドラフト会議は、シーズン最下位だったドラゴンズにとっては、12球団で一番、有利な指名順だった。2巡目は真っ先に選手を指名できるからで、それは13番目に良い選手、まるで“1位を2人指名できる”ようなものだった。
もうひとり即戦力投手かと思ったが、ここでドラゴンズは、社会人内野手の津田啓史選手を指名した。その後に続いた11球団の2位指名は、すべて投手だった。立浪監督は、それだけ「内野手」にこだわった。3位指名も仙台大学の辻本倫太郎選手、内野手である。
1年前のドラフトで、村松開人、田中幹也、そして福永裕基と、3人の大学や社会人内野手を獲得したにもかかわらず、今回も2人の内野手を指名した。それだけ、二遊間の強化が重要課題だということなのだろうが、正直、驚きの指名だった。
ドラフトでの「永遠のテーマ」
ドラフト会議を前にして、1冊の新刊を読んだ。『星野と落合のドラフト戦略』(カンゼン刊)、ドラゴンズの元スカウト部長である中田宗男さんの回顧録である。ドラゴンズの投手だった中田さんは現役引退後、1984年(昭和59年)からスカウトになり、38年間にわたって“新人選手の発掘”を担当した。
タイトルになった星野仙一さんと落合博満さんを含めて、8人の監督とドラフト会議という舞台で向き合った。知っていたエピソードもあれば、この本で初めて知った驚きも多かった。しかし、普遍的なテーマは「目先の戦力か、将来への布石か」という永遠の課題だった。
竜ドラフト史の秘話
とにかく“即戦力”を求めたのが落合監督だった。2008年ドラフトで、1位指名を社会人の野本圭選手にするか、高校生の大田泰示選手にするか、監督とスカウト部長の立場の鮮明な違いが象徴的だった。
「世代交代」が課題だったドラゴンズ、中田さんは「時間がかかっても次世代の柱になりうるスケールの大きな高校生野手が欲しかった」と述懐する。しかし、それはかなわなかった。ドラゴンズは落合監督の希望通り、野本選手を指名した。
別の年には、のちに埼玉西武ライオンズの主砲として、6度のホームラン王に輝いた中村剛也選手を大阪桐蔭高校時代に獲得しようとしたが、当時の山田久志監督から「俺はよう使わんよ」と言われ、高校生投手を指名にいった秘話には驚いた。成功したドラフトも数多くなる中で、中田さんがあえてふり返る“後悔”の思い出の数々が重い。
立浪監督のドラフト採点
「ここ数年のドラゴンズは、監督が2年や3年の契約の中で勝たないといけないプレッシャーがあり、思い切って若い選手を使うことができなかった」こう立浪監督は語っていた。
球団初、2年連続の最下位という成績を受けて、その立浪監督が「勝たねばならない」待ったなしの3年目を迎える。それを前にしたドラフト会議、立浪監督は「80点」と採点したが、足りなかった「20点」が気になる。1位指名の公表と抽選での負け、竜のドラフト戦略に、何か狂いが生じていなかったことを願う。
ドラゴンズから指名された6人、そして、育成指名の4人、合わせて10人の選手たちには大いに期待したい。チームは長きにわたる低迷を続けている。そこに新風を吹き込むのは、この10人である。そして、立浪監督が「満点」と言えなかった、残りの「20点」を埋めて、さらに「120点」にできるのも、この未来の若竜候補たちである。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。
<引用>中田宗男著『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』(株式会社カンゼン・2023年刊)