与田のかたきを落合が討った!ドラゴンズ忘れえぬオールスターゲームこの一戦!
史上初の事態となった。新型コロナウイルスの影響によって、シーズン開幕が延期されているプロ野球は、ついにオールスターゲームまで中止となった。セとパ2つのリーグになって70回目の開催となるはずだった記念イヤーに、残念なことになってしまった。
ルーキー与田剛ファン投票1位!
70年を迎えたオールスターゲームの歴史には、ドラゴンズブルーの選手たちが躍動した名場面も多い。 中でも忘れえぬゲームをひとつ挙げるならば、ちょうど30年前の1990年、福岡にあった平和台球場での第2戦である。このシーズンは、現ドラゴンズ監督の与田剛投手がルーキーだった。開幕戦で150キロを超す剛球を披露してデビューした与田投手は、ドラゴンズの新たな“抑えの切り札”として大活躍、オールスターゲームのファン投票では投手部門1位で選ばれた。対するパ・リーグのファン投票1位は“トルネード投法”近鉄バファローズの野茂英雄投手だった。このルーキー2人が、先発として投げ合った。オールスターゲーム史上初の新人先発対決だった。
大舞台に強い落合博満が打つ!
与田投手が相手をしたパ・リーグの四番は西武ライオンズ清原和博選手、オールスター史上最年少の四番打者だった。与田投手はその清原選手にソロホームランを打たれた。するとその直後である。セ・リーグの四番に座ったドラゴンズの同僚である落合博満選手が、今度は野茂投手から2ランホームランを放ったのだ。「与田のかたきはオレが取る」。
与田vs野茂の新人投手スピード対決と共に、落合vs清原という四番打者対決を観ることができて、プロ野球ファンにとっては最高の夜となった。もちろん、ドラゴンズファンにとっても、狂喜乱舞したい“夢の球宴”だった記憶がある。
夢の球宴で踊った竜戦士たち
ドラゴンズの選手たち、過去のオールスターゲームでの活躍を振り返ると、これまで最優秀選手(MVP)には10人が選ばれている。
記念すべき第1回のオールスター戦が開催された1951年には、野口明選手と杉下茂投手がMVPを獲得。1955年には“初代ミスター・ドラゴンズ”西沢道夫選手が2本のホームランを打つ大活躍でMVP。それ以降も、中利夫、ジム・マーシャル、江藤慎一、彦野利勝、川上憲伸、山崎武司そして荒木雅博といった選手たちが球宴MVPに選ばれた。江藤選手は2度もMVPを受賞、さすが球団史に残るスラッガーだけのことはある。
特に印象に残るのは川上投手で、ルーキーイヤーの1998年にファン投票1位で選ばれると、ナゴヤドームで初の開催となった第2戦に先発し3イニングを2安打無失点。新人投手として史上初のMVPを獲得した。川上投手はドラゴンズのエースへの道を突き進んでいく。
江夏と江川の忘れえぬ熱投
ドラゴンズについての思い出以外では、何といっても1971年に兵庫の西宮球場で行われたオールスター第1戦で、阪神タイガースの江夏豊投手が成し遂げた9者連続三振である。先発した江夏投手は、パ・リーグの選ばれし打者たちを次々と三振に切って取る。マスクをかぶっていたのは同じタイガースの田淵幸一捕手だった。3回ツーアウト、最後の打者となった阪急ブレーブスの加藤秀司選手を空振り三振で討ち取った瞬間をテレビ中継で観ていた。あの試合を中継とはいえリアルタイムで体感できたことは、プロ野球ファンとして今も大切な思い出のひとつである。投手は長くても3イニングで交代だったから、対戦する9人をすべて三振に仕留めたことは、まさに偉業中の偉業だった。
その13年後の1984年に、讀賣ジャイアンツの江川卓投手が、この記録にあと一歩の8者連続三振を達成した。舞台がドラゴンズの本拠地ナゴヤ球場だったから、この記憶も鮮明だ。ペナントレースでは宿敵だった江川投手だが、この時ばかりは江夏投手に並ばないかと期待していた。どちらもいつまでも語り継がれるであろう、オールスターゲームの名場面である。
中止となった2020年の第2戦はナゴヤドームでの開催予定だった。ドラゴンズからはどんな選手が選ばれて、どんな活躍をしたのだろうか?
球団史上11人目のMVPが登場したかもしれない。それが背番号「2」や背番号「7」ならば、ドラゴンズファンの歓喜は相当なものだったであろうと“夢”を描く。やがては訪れる次なるオールスターゲームの舞台が今から待ち遠しい。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。