戦後75年~2500人が犠牲になった豊川海軍工廠への爆撃 89歳の語り部が「活動引退」を思いとどまった理由
広島への原爆投下の翌日、8月7日。
愛知県豊川市の兵器工場、豊川海軍工廠への爆撃で
2500人以上が犠牲になりました。
生存者で作る「八七会」は長年慰霊の活動を行ってきましたが、
高齢化と後継者不在で今年限りで活動を終了。
そして、工廠で働いていた伊藤等さん(89)は
助けを求める手を振り切って逃げた後悔もあって
長年、市公認の語り部として体験を伝えてきましたが、
神経の難病や高齢のため語り部をやめようと決断。
しかし小学生からの「ある言葉」が
それを思いとどまらせることに。
伊藤さんは今年89歳。
戦争の悲惨さを語り継ぐ難しさが
年々高まっています。