不気味すぎる神事!?わら人形と、半裸の子どもに塩水を浴びせる岐阜・恵那市の奇祭「送り神」とは
岐阜県恵那市に伝わる奇祭「送り神」。子どもたちが唱え言葉を歌いながら不気味な人形を持って町内を巡ります。「疫病神を八幡地獄へ送る」「子どもたちに塩水をかける」と町の人が話す、神事の実態を「OMATSURIちゃん」が調査しました。
奇祭「送り神」のシンボルは、わらで作った男女2体の不気味な人形
風光明媚な景色の岐阜県恵那市。市街地にある大井町は、江戸時代より中山道の宿場町として栄え、明治天皇がお泊りになった行在所(あんざいしょ)があるなど、長い歴史が感じられる地域です。この町には、長年続く奇祭「送り神」があります。
(わら人形を作る纐纈満さん)
「約300年前から始まった祭りといわれているが、実際のところはなかなか…歴史的な資料がないんで」
一説には300年以上続くとされる「送り神」は、1945年の終戦の年を除き、欠かさず行われてきた歴史ある祭りです。準備を進める参加者に同行すると、着いたのは竹林。竹を2本用意し、その竹に人形を括り付けると言います。
時を同じくして別の場所では笹も採取。笹に七夕のように短冊を飾り付け、町内の至る所に飾っていきます。送り神では、地域のお宅1軒1軒を練り歩くため、その道しるべとして短冊を飾っていました。
(わら人形を作る纐纈満さん)
「今回のお祭りの主役の一つが、この麦わら人形です。毎年一から麦を集めて、準備して作ってます」
祭りのシンボルは、男女2体のわら人形。その姿には特徴があり、男性が少し大きく、女性は少し小さめで、男女それぞれのシンボルが大きく強調されています。
祭りを知らない人が見るとドキッとしますが、町の人にとっては神聖な人形。その人形に、顔を描いて命を吹き込むのが、この道10年のベテラン戸田昭平さんです。
(わら人形に顔を描く戸田昭平さん)
「全くコレと決まったデザインはなくて、描く人が代わると全く違う顔になる。」
最後に竹を差して完成した人形はこの地域にとって、神聖で大事なシンボルとなります。
「どこの子か分からないように」子どもたちの体に異様な模様を描く人々
そして、この神事には、わら人形の他にもう1つの主役がいます。それが、町の子どもたちです。上半身裸の子どもたちの体に「疫病神」「疫病退散」と墨で書き、さらに朱墨で顔や体に模様を描きます。
(参加者)
「顔に色を塗るのはどこの子かわからないように。厄をよけるために色を塗って身を隠す」
“厄をよける”というのが、が祭りのキーワード。では、奇祭「送り神」の実態は…?
(参加者)
「疫病神を八幡地獄へ送る」
「送り神」は、疫病神を地獄へ送る厄除けの神事。約300年前から大井町の御所の前地区で開催されており、地区にある「阿弥陀堂」を起点に、今もなお続く伝統行事として行われているのです。
大量の塩水シャワー!?厄を背負った人形を川へ運ぶ子どもたち
神事では、子どもたちが体に墨を塗り、町内を練り歩きながら、地域に住む人々の厄を落とします。今年は1歳から中学生まで、13人の子どもが参加しました。わら人形も、厄除けのために作られたシンボルです。
(わら人形を作る纐纈満さん)
「町内の皆さんの災いを背負ってもらうわら人形。一年間の災いをこの麦わら人形が背負う」
子どもたちが人形や笹を持って町を練り歩き、住民たちは子どもや人形に塩水をかけて厄払いをします。これがこの町の、夏の風物詩。子どもたちは、疫病神を払うための“唱え言葉”を、声を合わせて歌います。最後は住宅街を抜け、阿木川に到着。厄を背負ったわら人形を川に流し、祭りは無事に終了しました。
(わら人形を作る纐纈満さん)
「後世ずっと続けていきたい」
恵那市に伝わる厄除けの神事「送り神」の主役を務めた子どもたちに、最もアツいOMATSURIちゃんとして、手形をもらいました。これからも伝統を絶やさぬよう、子どもたちが次の世代に繋いでいきます。
CBCテレビ「チャント!」7月5日放送より