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<論説コラム>決断のリミット近づく!東京オリンピック・パラリンピックまで5カ月~「聖火リレー」や「女性参加」の歴史から見えてくること

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<論説コラム>決断のリミット近づく!東京オリンピック・パラリンピックまで5カ月~「聖火リレー」や「女性参加」の歴史から見えてくること | CBC論説THEコラム | CBCテレビ


 東京オリンピックとパラリンピック。1年延期された開催のスケジュールが迫っているが、いったいどうなるのか?いまだに不透明なことも多い。さらに、ここにきて、「組織委員会トップの女性問題への認識」や「聖火リレー・ランナーの相次ぐ辞退」「聖火リレーへの疑問提起」など、新たな課題も次々と浮上している。

 そんな今だからこそ、あえて五輪の歴史を紐解いてみたい。いったい、そこから何が見えてくるのか…。

■そもそも「聖火リレー」は、国威発揚と軍事侵攻の目的で利用されていた!?

 1936年。ベルリン大会。当時、自身もアスリートであったカール・ディームが、古代オリンピックの習慣をヒントに、ギリシャのアテネで採火した聖火をベルリンまで届ける…という聖火リレーのスタイルを考えついたとされる(金メダリストに月桂冠を…も、ディームのアイデアらしい)。当時、ドイツはナチスが政権を握っていて、ベルリン大会の組織委員会を仕切っていたのは、あのアドルフ・ヒトラー(首相)。当然のように、この聖火リレーのアイデアを目いっぱい利用したとされる。というより、大会そのものを、ナチスのプロパガンダに利用していた。

 3000人を超える若者らが、トーチを引き継ぎながら、アテネからベルリンまでを走り抜けた聖火リレーは、素晴らしい試みであった一方で、沿道の人々に対して、そして世界に対してナチスをアピールするイベントとしても利用された。そして、ベルリン五輪が終わった後、ナチス・ドイツの軍隊が、南下してバルカン半島方面に侵攻する際には、そのリレーコースをほぼ逆進することになる。このため、聖火リレーが侵攻ルートの確認や偵察に利用されたのでは…との説は、いまも根強い。

■いま、「オリンピック憲章」は「すべての差別を認めない」としているが…

 ここでクイズを一問。1896年。近代オリンピックの1回目がアテネで開催されたとき、女性の選手は何人いたであろうか?ちなみに、参加選手は14カ国からの280人だった。答えは、ゼロ…だ。女性の選手参加はまったく認められていなかった。「参加させてほしい」と訴える女性アスリートもいたようだが、主催者はこれを認めなかった。

 女性選手の参加が認められたのは、次の第2回・パリ大会(1900年)からだ。とはいえ、参加した女性はわずかに12人のみ。テニスとゴルフの選手だけが参加を許された。近代オリンピックの父とされるクーベルタン男爵。彼の有名なコメントが「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」というあれだ(実際は、別の人の言葉をクーベルタン男爵が借用したらしいが…)。この一言こそ、世界の国々が純粋にスポーツで結果を競い合うことこそ素晴らしいのだ、決して勝ち負けではない…という趣旨でとらえられ、近代オリンピックのあり方を見事に表現したコメントと位置付けられている。

 だが実は、この格好いいコメントを発したクーベルタン男爵ですら、「スポーツは男がするもの」と“当たり前のように”考えていた節がある。パリ大会で女性の参加が認められたのがテニスとゴルフだったのも、「まあ、女性が楽しんでも大目に見ようじゃないか」と、当時の男性たちが考えていたのが、その程度の種目に限られていたからだ。つまり、「女性が走る?泳ぐ?で、競い合う?冗談じゃない」という時代だったわけだ。そして、オリンピックも、そんな時代を追認こそすれ、改革の先頭を切っていたわけではなかったのだ。しかも、長い間…。

■「東洋の魔女」活躍の1964年・東京大会。実は、女性アスリートの割合は…。

 女性選手の参加割合で、五輪の歴史を振り返ってみる。さきほども書いたが、第1回・アテネ大会には、女性の参加が一切認められていなかったので、当然、0パーセントである。次の第2回・パリ大会では女性選手が12人。全選手に占める割合は、たった2パーセントほどだ。私が小学校に入学した年に行われたのが、前の東京大会(1964年)。戦後復興の証であり、高度経済成長への一歩だとして、日本中が沸き立ったオリンピックであり、日本に五輪成功体験(「オリンピックって素晴らしい!」)を植え付けた大会でもある。あの当時の多くの日本人の“気分”は、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などに描かれている。

 バレーボール日本代表の「東洋の魔女」や、体操のベラ・チャスラフスカなど、女性選手の活躍に興奮した人も少なくないはずだ(ちなみに、チャスラフスカが生まれたのは、1942年。ナチス・ドイツに占領されていたチェコスロバキアだった)。だが、実はこのときの女性選手の割合は、まだ、わずかに13パーセントである。え?その程度だったの…と驚く方も多いと思う。が、その程度だったのだ。それが、オリンピックの歴史的事実である。前回のリオデジャネイロ大会で、46パーセント。最近の大会で、やっと男女半々が目前に迫ってきた。

■近づくニッポンの重大な決断は、五輪の歴史に何を残すのか?

 こうした歴史的なエピソードやデータから、みなさんは何を思うだろうか?素晴らしいイベントだと理解している人も多い五輪の聖火リレーも、その発祥当時には、「アイデア」と「運用」の間にかなりの思惑の隔たりがあった。それがオリンピックの歴史の一面だったことは間違いない。ユダヤ人差別をはじめ様々な差別を政策に盛り込んでいたナチス・ドイツは、「オリンピックを成功させたい…」という目的のため、大会の前後だけは差別を隠し、進歩的な国家を演出したとされる。女性参加の歴史からも、「五輪の歴史は差別の歴史だったではないか」と批判的に見ることもできるだろうし、逆に、「コツコツと不平等や差別と闘ってきた歴史」をそこに見出すこともできるだろう。

   ***

 いずれにしろ、五輪まで5カ月を切ったいま、新型コロナ・ウイルスという脅威と戦いながら、我が国は新たな、そして厳しい決断を迫られている。国民である私たち一人ひとりの感性や判断も含めて、問われているように思う。これから行われるニッポンの、そしてニッポン人の重大な決断を、「オリンピック史の一場面」として、後世の人たちは、どう評価するのだろう。(文中敬称略)

『実はニュースなキーワード』(4)「オリンピックの歴史から」
【CBCテレビ特別解説委員・石塚元章(いしづか・もとあき)】
放送記者、編集長、海外支局長、ニュースキャスターなどを経て、現在はTV『ゴゴスマ』(CBC-TBS系)、ラジオ『石塚元章 ニュースマン!!』、『石塚元章の金曜コラム』(CBC)などに出演。「硬いニュースを柔らかく、柔らかい話題も時に硬く」「論説より解説」がモットー。

画像:『pixabay』

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