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世界中で人気の「オセロゲーム」は日本生まれ~白と黒の逆転劇その魅力と原点

世界中で人気の「オセロゲーム」は日本生まれ~白と黒の逆転劇その魅力と原点
北辻利寿のコレ、日本生まれです
東西南北論説風

世界中で人気の「オセロゲーム」は日本生まれ~白と黒の逆転劇その魅力と原点

 2021年7月13日(火) 13:25
北辻利寿
北辻利寿
「発売当時のオセロゲーム」提供:一般社団法人 日本オセロ連盟

世界中の愛好者の数が6億人とも言われる人気ゲーム「オセロ」。実は戦後まもない頃の日本、青空の下で友だちと遊んでいたひとりの少年のアイデアから誕生した。

茨城県水戸市に長谷川五郎という少年がいた。13歳の年に第二次世界大戦が終戦、しかし当時通っていた中学校の校舎は空襲によって全焼していた。このため近くの土手に黒板1枚を立てて“青空授業”が行われていたが、その休み時間に長谷川少年は、白と黒の碁石を使って、はさんだら相手の石を取ることができるというゲームで友人たちと遊び始めた。最初は「はさんだら取る」というルールだったが、やがて「はさんだら相手の碁石の色を置き換える」すなわち、白が黒の碁石をはさんだら白の石に替えるルールに変更した。それもいちいち置き換えることが面倒くさくなって、ボール紙を使って表と裏、それぞれに白と黒の色を塗った特製の駒を作った。ここに「オセロゲーム」の原点がある。

「長谷川五郎さん」提供:一般社団法人 日本オセロ連盟

長谷川少年は、大学に入学すると囲碁部に入ってキャプテンになる。卒業後は製薬会社に就職して、やがて結婚。妻と一緒に楽しもうと、趣味の囲碁を教えたものの、ルールがむずかしくて妻はギブアップ。その時、ふと思い出したのが、少年時代に故郷の土手で遊んだ“あのゲーム”だった。妻に教えたら大喜びでたちまち夢中になった。
「これはひょっとしたらとんでもないゲームかもしれない」。
牛乳瓶のフタで白と黒の駒を作って、試作品として玩具メーカー「ツクダ」(当時)に持ち込んだところ、ただちに採用された。1973年(昭和48年)、「オセロ」と名づけられたボードゲームが発売された。その後世界中を席巻する人気ゲームが誕生した瞬間だ。

「発売当時のオセロゲーム」提供:一般社団法人 日本オセロ連盟

実はこのゲームに「オセロ」という名前をつけたのは、長谷川さんの父親・四郎さんだった。英文学者だった四郎さん、息子が発明したこのゲームを「面白い!」と気に入った次の瞬間、脳裏にはイギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアが書いた戯曲が浮かんだ。その作品の題名こそが『オセロ』。シェイクスピアの名作「四大悲劇」のひとつである。
主人公の軍人オセロは黒人、妻のデスデモーナは白人、疑いと裏切り、誰が敵で誰が味方なのか、二転三転、次から次へと局面が入れ替わっていくストーリー展開は「まさに息子のゲームにぴったりだ」と四郎さんは考えた。物語の舞台がイングランドの大平原だったことから、盤の色は緑色になった。

「オセロ原型と牛乳瓶のフタ駒」提供:一般社団法人 日本オセロ連盟

「オセロゲーム」の駒の大きさは直径3.4センチ。これは、長谷川さんが試作品の際に使った牛乳瓶のフタと同じサイズである。フタを4枚貼り合わせた厚さも当時と同じ。発売当初から変わっていない。現在はオセロの公式規格になっている。歳月と共に「オセロゲーム」は世界中で愛されるゲームとなった。少年時代の遊びからゲームを作った息子と、それに文学作品から名前をつけた英文学者の父。世界で人気のボードゲームは、そんな父子の“共演”から生まれたのだった。

白から黒へ、黒から白へ、一瞬にして展開が入れ替わってしまう「オセロゲーム」。
世界中の人々がこのゲームを愛するのは、その分かりやすいルールと共に、それぞれの人生のドラマを「白と黒」「黒と白」大逆転の盤上に映し出しているからなのかもしれない。日本生まれ・・・「オセロゲームは文化である」。

【東西南北論説風(249) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿のコレ、日本生まれです」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして紹介します。

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