サザンオールスターズ40周年の夏~シンドバッドは勝手にラララ・ラララ・ラララ♪

サザンオールスターズ40周年の夏~シンドバッドは勝手にラララ・ラララ・ラララ♪

サザンオールスターズがデビュー40周年の夏を迎えた。
デビューシングルである『勝手にシンドバッド』が発売されたのは1978年(昭和53年)6月25日。
この日に合わせてコラムを書こうと思い悩んでいたのだが書けなかった。
あまりにも名曲が多く、自分にとってのベスト10ですら容易に選ぶことができない。
ましてコラムを書くにあたってどの曲を選ぼうが何を書こうが、それはサザンのほんの一面しか描くことができない。
それだけサザンオールスターズ40年の歩みは大きく重い。
しかし40周年のタイミングで何も書かない選択はない。
サザンの歌と当時の出来事、そこに私的こだわりを絡めて書くしかないという結論に行き着いた。
「コラムではないコラム」とあらかじめご容赦いただきたい。

『勝手にシンドバッド』
この歌を初めて聞いた時の衝撃は今も鮮明である。
1978年8月の音楽番組『ザ・ベストテン』新曲や話題曲を紹介する今週のスポットライトコーナーだった。
サザンのメンバー6人はライブハウスからの中継で登場した。
曲のタイトルを聞いた時、前の年にヒットした2つ『勝手にしやがれ』(沢田研二)と『渚のシンドバッド』(ピンクレディー)が好きな歌だっただけにコミックバンドかと思った。
しかし演奏された歌の溢れ出るパワーに圧倒された。
ピンクレディーが『サウスポー』『UFO』など社会現象的なヒット曲を連発し、インベーダーゲームが登場し始めた夏。私は大学1年生だった。

『みんなのうた』
デビュー10周年を迎えたサザンは「真夏の夜の夢 大復活祭」ツアーを展開した。
私は愛知県の小牧市総合運動場野球場に参加した。
このステージで画期的だったのは、コンサートの後半に「桑田佳祐ソロコーナー」があったことだ。
サザンのメンバーと入れ替わり(ドラムの松田弘は兼務)、KUWATA BANDメンバーがステージに登場、桑田ソロ曲と共に『BAN BAN BAN』や『スキップ・ビート』などのバンド楽曲も披露された。
終盤で演奏されたのが『みんなのうた』だった。
大きな気球が現れ、屋外会場ならではの花火も打ち上げられた。
1988年(昭和63年)ソウル五輪での鈴木大地選手「バサロ泳法」が思い出深い。
翌年には昭和という時代が幕を下ろす。

『涙のキッス』
この曲が入ったアルバム『世に万葉の花が咲くなり』を海外赴任先であるオーストリアのウィーンで聴いた。
16曲入りの豪華なアルバムは小林武史氏と組んでの作品群だった。
現地のオーストリア人スタッフもサザンが大好きで、日本から送ってもらったCDを貸したりして「音楽の都」でクラシックならぬサザンを楽しんだ。1992年(平成4年)日本国内では東海道新幹線に「のぞみ」が登場した。
サザンのこの曲は「冬彦さん」という流行語まで生んだテレビドラマの主題歌としてヒットチャートを上昇した。

サザンの名曲を思い出と共に・・・

『平和の琉歌』
沖縄が大好きである。ある時期、本島北中部にあるホテルに毎年通った。
そのホテルのビーチ名を入れ込んだツアーが始まったのは1996年(平成8年)だった。
名古屋の会場はナゴヤドームでなく、当時の中日ドラゴンズ本拠地だった屋外のナゴヤ球場。
球場周辺への騒音配慮から屋外ライブはその年で休止となり、そのラストステージを飾ったのがサザンの「ザ・ガールズ・万座ビーチ」ツアーだった。
ツアーのために作られた『平和の琉歌』。「琉歌」は歌詞を五七調で刻む沖縄独特の歌である。
桑田さんはその五七調で米軍基地との共存を続ける沖縄を書き込んだ。重くせつない歌である。
前年に沖縄では少女が米兵に暴行される事件が起きていた。
日米地位協定が大きく揺らいだ中での哀しい名曲だった。

『I AM YOUR SINGER』
2008年にサザンは無期限の活動休止を発表。
「屋号をファンにお返しする」という言葉と共に、横浜国際総合競技場で4日間のライブを行なった。
デビュー30周年のお祝い以上に、しばしサザンの姿を見ることができなくなるファンにとっては悲しいステージだった。
雨が降りしきる中、新曲の『I AM YOUR SINGER』が始まると、体調不良だったパーカッションの毛ガニ(野沢秀行)がまさかの登場。
学生時代から始まった彼らの歩みと仲間そろっての演奏に感涙し、涙と雨で顔がぐちゃぐちゃになった夜だった。

『ピースとハイライト』
ソロ活動では社会風刺を織り込んだ歌を多く作っている桑田さんだが、サザンとしては珍しい1曲。35周年の夏に発表された。
プロモーションビデオの映像には、わが国の総理大臣の他、米中韓のリーダーも似顔絵で登場した。
安倍首相が靖国神社を参拝した2013年暮れ、まさにその夜に忘年会があり二次会でこの歌を歌った。
「20世紀で懲りたはず」という平和を求める歌詞が好きだ。
翌年のNHK紅白歌合戦でこの歌が披露され、一部で物議をかもし出したりしたが、発表1年以上も経つのに、正直「何を今さら」と思った覚えがある。
ロックンローラーにとってメッセージを発信することは矜持である。
胸を張ってほしいとエールを送った。

『アロエ』
名アルバム『葡萄』を引っ提げての全国ツアー。ナゴヤドームの他、沖縄県宜野湾市にある沖縄コンベンションセンターでもステージを見る幸運を得た。
コンサート前日に訪れた宮古島近くの来間島には、夏空の下に見事なアロエ畑が広がっていた。
この「おいしい葡萄の旅」ツアーは、日本武道館の追加公演まで23公演行なわれたが、その名の通り“円熟”のステージだった。
ツアー代表曲の『アロエ』同様に心に残ったのは『平和の鐘が鳴る』という一曲だ。
終戦からの日本と国民の歩みを歌い上げたバラード。
さとうきび畑の映像と共にこの歌を沖縄の地で聴くことができて、ますます大好きな歌となった。

サザンオールスターズ40周年の夏が過ぎて行く・・・

書き始めると次から次へとキリがない、そしてとても書き切れない。
それはきっとサザンオールスターズの歩みであり、実力であり、素晴らしさであり、そしてそれを愛してきた私たちファンひとりひとりの熱い思いによるものであろう。
それぞれにサザンとの歳月がある。

「サザンオールスターズ」というテーマでコラムを書くことのむずかしさに直面しながら(自分なりにサブタイトルを考えてみたものの)、スポーツジムではサザンの楽曲を聴きながら汗を流す日々、サザンオールスターズ40周年の夏が過ぎて行く・・・。
あなたはどんな歌にどんな思い出がありますか?

【東西南北論説風(55) by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

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