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意外に知られていない活躍ぶり。斎藤道三の末っ子・斎藤新五とは

意外に知られていない活躍ぶり。斎藤道三の末っ子・斎藤新五とは

CBCラジオ『伝令!武将が現世でラジオを始めたようです!』は、400年の時を経て現代に蘇った名古屋にゆかりの武将たちと足軽集団・名古屋おもてなし武将隊(R)が、日本の歴史を楽しく紹介する歴史バラエティ番組です。9月26日の放送では豊臣秀吉・前田利家・陣笠隊の足軽・十吾の3名が出演し、織田信長・上杉家の越中争奪戦について取り上げました。

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越中争奪戦に斎藤新五が参入

「この日何の日?」コーナーは、先週土曜日から今日までの1週間の日付で過去に起こった歴史上の出来事・記念日を解説。いくつかある話題の中で取り上げたのは、1578年9月24日に織田信長・上杉家の越中争奪戦に斎藤新五が参戦した件について。

この戦いの前年、信長と謙信は手取川の戦いで激突しており、戦上手の謙信が大勝。信長が大敗を喫しています。

前田利家「越中、現世で言うところの富山県富山市の少し南側かの。前年に織田家が大敗を喫したと言うたじゃろ?この戦については織田軍大勝利。そして越中に足がかりを作る、つまり上杉の本拠の越後を攻めるための拠点になったと」

この前年の手取川の戦い後、上杉謙信は急死。
これにより、上杉家内で後継者争いが起こります。これは、謙信が妻帯していなかったため養子としていた、上杉景勝(長尾政景の実子)と上杉景虎(北条氏康の実子)との間で争い「御館の乱」が起こりました。

実は義弟でもあった新五

上杉家の後継者争いによる混乱に乗じて、織田信長は戦を仕掛けます。

利家「上杉家がガタガタしておる隙を狙って領土を拡大しようというのが、この戦いの趣旨である。皆が気になるのは、この戦の概要と、この戦に参入した斎藤新五殿じゃろ」

豊臣秀吉「普通は知らんじゃろ、斎藤新五殿は」

十吾「斎藤家にゆかりの方でござりまするか」

斎藤新五は、美濃を治めていた斎藤道三の末子。織田信長の正妻である濃姫(帰蝶)の弟でもあります。
斎藤道三と新五の兄である義龍が父子で争い、道三が長良川の戦いで滅ぼされたのちに、信長は何とか斎藤家の後を継がせたいと後押しするも叶わず。新五は織田家に仕えるようになりました。

歴史の皮肉は繰り返す

その後の斎藤家は義龍が長くはもたず病死、その後を継いだ道三の孫・龍興はあまり武将としては優秀ではなく、織田信長に滅ぼされてその拠点だった稲葉山城は岐阜城に名前を変えました。

利家「信長様も新五殿を手塩にかけて育てての。その後、様々な戦で活躍されたんじゃ」

秀吉「最終的には織田信忠様、信長様の嫡男じゃな。信忠様にお仕えして、最期は信忠様に付き添って本能寺の変でお亡くなりになった」

十吾「ということは、信長様にもかなり近いところにおられた方でございますな」

この新五を討ったのが、これまた同じ斎藤家の一族である義兄にあたる斎藤利三でした。利三は、明智光秀の重臣。そして江戸時代の3代目将軍・徳川家光の乳母を務めた春日局の父でもありました。
新五は武辺者、いわゆる戦上手としても知られており、様々な戦で武功を挙げていますが最たる活躍をしたのがこの越中争奪戦。

利家「越中は道が険しいのと、雪深いことから寒くて攻めるのが難しかった中で、新五殿は土地勘があったんじゃな。だから飛騨口、すなわち岐阜県を北上して攻め入ったんじゃ。
これによってただでさえガタガタじゃった上杉家は驚いて、一気に片付けられてしまったのがこの戦」

新五は特に月岡野の戦いでは大活躍し、最終的には富山城を治めるにまで出世したのでした。斎藤家本家としては滅びましたが、その後春日局など形を変えて子孫が残ります。
歴史の不思議でもあり、皮肉でもある戦国時代を物語る人物だった斎藤新五のエピソードでした。
(葉月智世)
 

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