「なんなんだこれは」川上憲伸と上原浩治、スペインでの初対面
CBCラジオ『ドラ魂キング』「川上憲伸、挑戦のキセキ」は、野球解説者の川上憲伸さんが、自身のプロ野球人生を「挑戦」という視点から振り返るコーナーです。3月11日の放送からは新テーマ「上原浩治」編がスタート。最大のライバルとの初めての出会いについて伺いました。聞き手は宮部和裕アナウンサーです。
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川上さんが大学4年生の夏頃、スペインで開催されたインターコンチネンタルカップに日本代表として参加しました。
日本チームには学生選手が多く、慶応義塾大学の高橋由伸選手が注目を集めていたほか、中央大学1年生の阿部慎之助選手や近畿大学の二岡智宏選手といった顔ぶれが揃っていました。
大会中のある休み時間、関西地方の学生選手たちと話していた川上さんたちの輪に加わってきたのが、上原浩治さんでした。
1学年下の二岡選手は、当然川上さんに敬語を使います。一方、同級生の清水直行投手とは普段通りの会話でした。
ところが上原さんは、同級生の二岡選手とタメ口で話し、川上さんにも同じ調子で接してきたのです。
「僕にもタメ語で『あのさー』って来るわけですよ。なんなんだこれはと思って」
川上さんは「関西の人は上下関係にラフなのかな」と受け流しつつも、明治大学では絶対にあり得ない事態に、なんとなく嫌な気持ちになったそうです。
部屋で判明した真実
その日、部屋に戻った川上さんは、ルームメイトの建山義紀投手にこの出来事を話しました。
「建山、なんか変な関西弁を喋る子がおってさ。俺の1個下なんだけど、二岡とタメ語で話してるから。上原っていうんだけどさ、普通に俺にタメ口でしゃべってくるんだよ、変だよね」
すると建山投手から意外な答えが返ってきました。
「俺らの同級生やで」
上原さんは高校卒業後、1年間予備校に通ってから大阪体育大学に入学していたのです。しかも建山投手と上原さんは同じ高校の出身で、建山投手がエース、上原さんはセンターを守っていたといいます。
同い年だったと知り、川上さんはようやくタメ口の謎が解けたのでした。
骨折が生んだ運命の登板
このインターコンチネンタルカップには、もうひとつ忘れられない出来事がありました。
川上さんは決勝のキューバ戦で先発する予定でしたが、不注意でボールを踏んでしまい骨折。他の投手陣はすでに投げ終えており、代わりを務められる投手がいない状況に陥ってしまったのです。
そこで白羽の矢が立ったのが、大会であまり登板機会のなかった上原さんでした。
急遽マウンドに上がると、当時から最強と言われたキューバ打線から三振の山を築きます。スライダー、フォーク、ストレートのすべてが抜群だったと川上さんは振り返りました。
会場には12球団のスカウト陣も詰めかけており、この快投が上原さんの評価を大きく高めるきっかけとなったのです。
雑草じゃなくひまわり
川上さんは上原さんに対して、こう語ったそうです。
「あんたね、よく雑草魂とか言ってたけど、全然じゃん。すごい運があって、すくすく成長したひまわりのように輝いてきたやんか」
その後、ふたりは中日ドラゴンズと読売ジャイアンツのエースとして名勝負を繰り広げ、時を同じくしてそれぞれアメリカへ渡るなど、いくつものクロスロードを重ねていきます。
上原さんは2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で世界一に貢献し、ボストン・レッドソックスでは日本人初のリーグチャンピオンとワールドチャンピオンの胴上げ投手にもなりました。
スペインでのタメ口から始まった、同じ時代を駆け抜けた盟友との物語です。
(minto)
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