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★ビートルズが世界を変えた7つの偉業(No.5)“5人目のビートルズ”がロックバンドの常識を変えた!

★ビートルズが世界を変えた7つの偉業(No.5)“5人目のビートルズ”がロックバンドの常識を変えた!

2020年は、ジョン・レノン生誕80年&没後40年。アルバム『Let It Be』発売50年の年でした。2022年は、ビートルズ・デビュー60年・・・を迎えようとしています。

2021年・・・改めて今、1960年代の音楽、カルチャー、社会の既成概念に果敢にチャレンジし、自由にふるまい、大人たちの常識を変えていった、ビートルズのさまざまな偉業について、記憶をたどり整理してみたいと思います。

ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター・・・いずれも未来を変革する大きなエネルギーを内に秘めた非凡で魅力的な若者たち。4人のチームワークと強烈な個性の化学反応によって、世界はどう変わったのでしょうか?

パンチの効いたノリノリのピアノを弾いているのは誰?         

初期のビートルズは、チャック・ベリーやリトル・リチャードが世に放ったロックン・ロールのスタンダード・ナンバーを好んでカバーしていました。「Rock And Roll Music」「のっぽのサリー(Long Tall Sally)」などが代表格ですが、これらの曲に耳を傾けると、いずれも、パンチの効いたカッコいいピアノ演奏が曲を盛り上げています。ギター・バンドの4人にノリノリのピアノ・プレーヤーが加わって大いにヒートアップしています。ピアノ・プレーヤーとしてビートルズのレコーディングに頻繁に参加していたのが“5人目のビートルズ”と呼ばれた男、ジョージ・マーティンです。

ジョージ・マーティンは1926年、ロンドン生まれ。ロンドンの音楽学院でピアノ、管楽器などクラシック音楽の基礎を学んだ後、イギリスの大手レコード会社EMIに入社。EMI 系列の“パーロフォン”というレーベルのレコーディング・プロデューサーの仕事をしていました。そして、ジョージ・マーティン36歳の1962年、他社のレコード会社のオーディションに落ちて再チャレンジとして“パーロフォン”のオーディションにやってきたリバプール出身の若者たちに出会います。その才能と未来の可能性を直感的に見出したのが、ジョージ・マーティンでした。

EMIスタジオが“化学反応”の実験場に・・・ 

筆者撮影:EMIスタジオ(現在は「アビーロード・スタジオ」と改名されている)(C)CBCテレビ

筆者撮影:EMIスタジオ(現在は「アビーロード・スタジオ」と改名されている)(C)CBCテレビ

 ロンドン市内ハイドパークの北およそ3キロの高級住宅街にたたずむ白壁のタウンハウス。ジョージ・マーティンの仕事場、EMIスタジオです。1962年6月6日の夕方、ビートルズのオーディションがこのEMIスタジオで行われました。ビートルズは、オリジナル曲の「Love Me Do」「P.S. I LoveYou」「Ask Me Why」それにラテン・スタンダード・ナンバーの「Besame  Mucho」を歌ったと記録されています。

演奏が終わっても緊張が解けずスタジオの片隅で固まっていたビートルズに、ジョージ・マーティンはトークバックで話しかけコントロール・ルームに呼び入れました。スタジオのミキサーやマイクなどプロのレコーディング機材の説明をしても、ビートルズはうなずくだけで言葉少なだったので「何か気に入らないことでもあるのかな?」とジョージ・マーチンは4人にたずねました。しばらく沈黙が漂った後、いちばん若かったジョージ・ハリスンが「はい。あなたのネクタイが気に入らないんです!」とジョークを飛ばしました。これがきっかけでみんな大笑いになり、それから何十分もの間、打ち解けて話が弾んだそうです。プロデューサーのジョージ・マーティンはこの時「彼らは個性的で魅力的なユニットだ」と評価。レコーディング契約が交わされました。ジョージ・マーティンはこれ以後、ビートルズのほぼすべてのレコーディングをプロデューサーとして見守り続けると共に、ピアノ・プレーヤーとしても録音に幾たびも参加、さらに、ビートルズの良き相談相手、アレンジ・アイデアの提案者として、彼らの音楽創造のプロセスに重要な役割を担うことになります。

クラシック音楽の教育を受けた音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンとロックバンドでありながら新しい音楽の創造に意欲を燃やすビートルズの運命的な出会い・・・4人のビートルズと“5人目のビートルズ”という最強チームの誕生によって、EMIスタジオは、まさに世界の音楽市場を席巻するすさまじいエネルギーを生む音楽的“化学反応”の実験場となったのです。

ロックバンドに弦楽四重奏!

 世界に最も大きなインパクトを与えた化学反応。それは1965年の「Yesterday」でしょう。ポールはアコースティックギターで作曲した「Yesterday」を真っ先にジョージ・マーティンに聴かせて相談しました。ポールは「メロドラマっぽくてよくないかな?」と心配そうに言っていたそうです。ジョージ・マーティンは「そんなことはない。独創的なコード進行と美しいメロディー。素晴らしい曲だよ」と激励。ジョージ・マーティンは「ギターだけでは物足りない。かといってドラムスではヘヴィーすぎる」と言って、クラシックの弦楽四重奏を使うことを提案しました。ポールは、はじめは戸惑っていましたが最終的には意見が一致。ジョージ・マーティンが弦楽四重奏の楽譜を書きました。

「Yesterday」のレコーディングは1965年6月14日、EMIスタジオにジョージ・マーティンの知り合いのクラシック演奏家が集まって行われました。この日の演奏は、スタジオに居合わせた人々に大きな感銘を与えたといいます。この日、スタジオ関係者が経験した感銘は、ほどなくして、レコードのリリースと共に世界中のファンが心を奪われる感銘へと広がります。この時のことをジョージ・マーティンは次のように語っています。

「ビートルズのレコーディングは新しい時代に突入した」・・・と。

バロック調アレンジの奇策

 1965年12月には、ビートルズの音楽が新しい時代に入ったことを明確に示す『Rubber Soul』がリリースされました。このアルバムの「In My Life」のセッションで、ジョージ・マーティンは、再び世界を驚かせる奇策アイデアを披露します。この曲では「バロック調の間奏を入れたい」とビートルズが提案。ジョージ・マーティンはこの提案に対して、バロック音楽の代表的な楽器であるチェンバロの音がふさわしいと考え、間奏のアレンジ譜面を書きました。ところが、ビートルズの歌のテンポにあわせて演奏しようとするとテンポが速すぎてとても難しい。ジョージ・マーティンは、この問題を奇想天外なアイデアで解決したのです。

間奏の演奏でジョージ・マーティンはチェンバロを使いませんでした。楽器はピアノを使い、演奏のスピードを2分の1のスローテンポに落としてゆっくりと弾いて、そのテープを倍速でプレイバックすると、なんとバロック・チェンバロの音に聞こえたのでした!「In My Life」がリリースされるとバロック調のアレンジが話題となり、郷愁に満ちた出色のバラードとして歴史に残る名曲となりました。

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4人のビートルズと“5人目のビートルズ”による化学反応・・・その後もさまざまな音楽的実験を繰り返しながら、1967年には、ロック、クラシック、ジャズ、民族音楽など様々なジャンルの音楽が融合した最高傑作『Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band』の創造へとつながっていきました。ビートルズはもはや“ロックバンド”という言葉では表せない存在になりました。デビュー60年以上経過してもなお世界中のファンの心の中で輝き続けている“ビートルズ”という音楽の一つのジャンルになっているのかもしれませんね。

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