かつては船運用の川だった!?新橋・銀座の発展を支えた「東京高速道路(KK線)」の歴史を紐解く旅

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、バイクで日本を2周したこともある道マニア歴29年の松村真人さんが、「東京高速道路(KK線)」の歴史を紐解きます。
「東京高速道路(KK線)」はかつて川だった!?制限速度40kmのワケとは

松村さんと一緒に旅をするのは、アイドルプロレスラー・鈴木志乃さん。2人は、東京「新橋駅」を訪れます。
(道マニア・松村真人さん)
「今日は東京高速道路、通称『KK線』を紹介したい。制限速度40kmで、新橋から2kmしかない短い変わった道路。異質になったのには理由があり、新橋や銀座の歴史とも密接に関係がある」
東京の都心部を1周する全長約15kmの「首都高速都心環状線」。これに接続するのが、銀座エリアの西側を走る「東京高速道路」と呼ばれる自動車専用道路。首都高と接続されていますが、運営は「東京高速道路株式会社」という別の会社が行っていました。

かつて首都高を運営していた「道路公団」の道ではなく、「株式(K)会社(K)」の道から「KK線」と呼ばれることに。開通は首都高速よりも早い1959年で、2025年4月にその役目を終え、66年に渡る歴史に幕を下ろしました。
多くの企業が集まるビジネス街「新橋」と、歴史ある老舗と最先端ショップが共存する繁華街「銀座」の発展に深い関わりがあるというKK線。どのような役割を担ってきたのか、KK線を辿りながら、今の新橋・銀座エリアが東京の中心地になっていった歴史を紐解いていきます。

2人はまず、新橋駅の東エリアへ。「あの古い建物にヒントがある」ということで、建物に近づいてみると、看板には「旧新橋停車場」と書かれています。
(道マニア・松村真人さん)
「ここは、新橋停車場の復元駅舎。昔、新橋駅はここだった」

鉄道開業の地であるこの汐留(しおどめ)エリアは埋立地で、かつては海でした。町中に張り巡らされた川を利用して物資を運んでいた江戸時代、海の水が江戸の町へ入り込まないよう、この場所には堰(せき)が設けられており、潮が留まることから「汐留」と呼ばれるようになったと言われています。
その後、時代は船から鉄道へと移り、明治5年に日本初の鉄道が横浜~新橋間に開通。新橋はしばらく東京の玄関口として賑わいましたが、大正3年の東京駅開業後は貨物専用の駅に。そして、長年使われてきた貨物駅も廃止され、鉄道の時代は終わりを迎えると、新たな輸送手段へと移り変わっていきます。
(道マニア・松村真人さん)
「今度は物資を車で運ぶために道路が造られた。物資の運搬に使われていた川を埋め立てて、鉄道に役目を奪われた汐留川が、道路として復活した」

輸送手段が鉄道から車に変わっていった昭和30年代、銀座エリアは過密地帯で新たに道路を造るスペースがなく、かつて船運に使われていた川を埋め立ててKK線を建設することに。
6年に渡る工事を経て、昭和34年に一部区間が共用開始し、昭和41年には全線が開通。物流を支える役割を担いました。
(道マニア・松村真人さん)
「運河の名残で道がカクカク曲がっているので、制限速度40kmにならざるを得ない。そして、大型車は通行禁止」

KK線は川跡の上に造られたため、急カーブが多く事故防止の観点から、時速40kmに制限されています。
現在も地名や交差点名として残る新橋、京橋、数寄屋(すきや)橋にはそれぞれ橋がかけられていましたが、KK線の建設にともない川は埋め立てられ、橋も姿を消してしまいました。
KK線は高速道路なのになぜ無料?驚きの理由とは

続いて2人は、首都高とKK線の接続地点へ。
(道マニア・松村真人さん)
「ここから先が首都高速、反対側がKK線。KK線は、なんと無料。KK線の下のビルに入っているお店のテナント料のおかげで上はタダだった」

KK線は商業ビルや事務所ビルと一体構造となっており、テナントから賃料収入を得ることで無料にすることができていたのだとか。ビルは全部で14棟あり、約400もの店舗が立ち並びます。
そして、KK線周辺の道路も次第に整備されていきましたが、そこには様々な工夫が施されているそう。それを確かめるため、2人は銀座の中心部へ。広い道路に出ると…
(道マニア・松村真人さん)
「道がこんなに広いのには理由がある。交通量が多いのもあるが、戦前に造られた地下鉄銀座線をはじめ、他にも地下鉄を伸ばしたり。地下に地下鉄を埋められるぐらいの道の広さが必要になってくる」

明治36年、路面電車の運行が開始。地下鉄が開業する前、人々は路面電車を移動手段として利用していました。しかし、路面電車は車社会の発達により次第に渋滞の原因に。
そこで、注目されたのが地下鉄の開発。銀座のような商業の中心地では多くの路線を造る必要があり、地下に十分なスペースが求められました。
地下鉄は土地の所有権の関係で公道の真下に造られるケースが一般的。地下鉄の建設、そして交通量の増加といった観点から、地上にも幅広い道路が必要とされました。
(道マニア・松村真人さん)
「空中には高速道路、地上には広い道路、地下には地下鉄と、3階層に渡って銀座はあらゆる交通網が集まり交差している」

鉄道以外にある重要なものが埋められているとのことで、2人は銀座駅の地下へ。すると、奇妙な造りの階段部分があり、壁に「銀座共同溝」と書かれている小窓を発見!小窓を覗くと、奥行きのある空間にパイプがたくさん通っています。
(道マニア・松村真人さん)
「銀座で使われている電気・ガス・水道の全てが、地下の共同溝で管理できるようになっている」
昭和43年に造られた「銀座共同溝」。銀座の電気や電話、ガス、水道などのライフラインをまとめて収容することで、メンテナンスの度に道路を封鎖せずに維持管理を行うことができるとのこと。さらに、地上に電柱や電線を設置する必要がなくなり、街の景観を保つうえでも大きな役割を果たしています。
KK線が廃止になったワケとは

2人は再びKK線沿いへ戻り、廃止になった理由を見に行きます。
(道マニア・松村真人さん)
「ここは、首都高の八重洲線。首都高が渋滞もしやすいし事故も起きやすいので、トンネルを掘って八重洲線を全部地下に移すことになった」
首都高都心環状線は交通量が多く、慢性的な渋滞に悩まされています。加えて、開通から60年が経過し、老朽化に伴う耐震性や安全性への懸念も。
こうした課題を解決するため、八重洲線と都心環状線を地下トンネルで直結する新たなルートが計画され、八重洲線に接続するKK線は廃止されることになりました。廃止後は遊歩道として再開発されることが決まっており、街の新たなシンボルへと生まれ変わります。
CBCテレビ「道との遭遇」2025年6月3日(火)午後11時56分放送より
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