かつては渋谷に城があった!?原宿は本当の原宿ではない!?東京の古道に残る「渋谷城」と「原宿村」の痕跡
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、東京都の渋谷・原宿にある“古道”を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)
渋谷の古道に残る「古墳」と「渋谷城」の痕跡
江戸時代以前に造られ、今はあまり使われていない“古道”。「古道ならではの地形を上手く使った微妙なカーブや、道端にあるお地蔵様など、歴史の痕跡が残っている」と道マニアは言います。
そんな古道は都会の渋谷に今もあり、その道を辿るとかつて存在した「渋谷城」の痕跡が見られます。
「宿」という地名が古くから残っていれば、古い街道が通っていた証と言う道マニア。目黒区にある「宿山橋(しゅくやまばし)」もそのうちの1つ。
また、「目切坂(めきりざか)」はかつての「鎌倉街道」で、鎌倉と東北地方を結んでいた「中道(なかつみち)」にあたるそう。
「目切坂」の近くには、約1500年前の古墳時代から存在しているという、死者を埋葬した古墳「猿楽塚(さるがくづか)」が存在。頂上には氏神様が祀られた「猿楽神社(さるがくじんじゃ)」が建てられています。
さらに、渋谷区にある「金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)」には、約500年前まで「渋谷城」があったと言います。
1092年創建の「金王八幡宮」と「鎌倉街道」との関わりを神社の方に聞いたところ、「旧鎌倉街道(八幡通り)と旧大山街道(国道246号)が交わる辺りに金王八幡宮があるので、交通の要になる。街道を監視し、守るためにお城が造られたのではないかと言われている」とのこと。
「渋谷城」を建てたと言われるのが、平安時代の武将・源頼義(みなもとのよりよし)に仕えた河崎基家(かわさきもといえ)。後に彼の子孫が「渋谷」の姓を授かった事が、街の名前の由来の1つと言われています。※街の名前の由来は諸説あり
原宿の古道に残る「原宿村」の痕跡
世界的なカルチャーを発信し続ける若者の街「原宿」は、かつて「原宿村」と言われ、今とは別の場所に存在していました。
竹下口交差点から脇に伸びた1本の不自然な細道「原宿通り」は、昔からある古道。「鎌倉街道ではないが、江戸時代の絵図に載っている古い道」と道マニアは言います。
その「原宿通り」を北上し東に進んだ場所には、寛永4年(1627年)創建の「妙円寺(みょうえんじ)」が存在。敷地内には、「原宿発祥之地」と刻まれた石碑があります。
鎌倉街道の宿場町「原宿」はかつて、現在の「妙円寺」の付近にあり、お寺の方の話によると、「昔は今と違い、原っぱの中の宿。原っぱの中に道があり、宿場町がポツンとあるような雰囲気だったのではないか」とのこと。
9月10日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より