渋谷・原宿は古道が多い!?かつて存在した「渋谷城」と「原宿村」を巡る旅
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、歴史の痕跡を残す“古道”を愛してやまない道マニア歴25年の荻窪圭さんが、東京都の渋谷・原宿にある古道を巡ります。
渋谷に古墳と城!?古道を辿ってかつて存在した「渋谷城」を巡る
江戸時代以前に造られ、今はあまり使われていない“古道”。
(道マニア・荻窪圭さん)
「古道の魅力は、いろんな歴史の痕跡に出合えること。古道ならではの地形を上手く使った微妙なカーブや、道端にあるお地蔵様など、歴史の痕跡が残っている」
そう言う荻窪さんと一緒に旅をするのは、プロギャルのMAAACHIRIN(まーちりん)さん。2人が訪れたのは、目黒区中目黒。
(道マニア・荻窪圭さん)
「昔、渋谷には『渋谷城』と言われるお城があった」
都会の渋谷に、いまだ存在するという古道。その道を辿ると、かつて存在した「渋谷城」の痕跡があると言います。2人は、目黒区から「渋谷城」があった場所を目指すことに。
中目黒駅の北西に位置する場所には、1本だけ曲がりくねった道が存在。現在は舗装されていますが、約800年前から存在すると荻窪さんは言います。
規則性のある道路の中で、1本だけ曲がりくねっている特徴こそが、古道を示す重要なサインなのだそう。
東に進み、現れたのは「宿山橋(しゅくやまばし)」。「宿」という地名が古くから残っていれば、そこは古い街道が通っていた証と言います。
さらに渋谷方面に進み、緩やかな坂道を上ると、現れたのは「目切坂(めきりざか)」。かつての「鎌倉街道」で、鎌倉と東北地方を結んでいた「中道(なかつみち)」にあたるそう。
「目切坂」を辿ると、渋谷区代官山に到着。「目切坂」の近くには、「神社と古墳が丸ごと残っている」と荻窪さん。約1500年前の古墳時代から存在しているという、死者を埋葬した古墳「猿楽塚(さるがくづか)」があり、頂上には氏神様が祀られた「猿楽神社(さるがくじんじゃ)」が建てられています。
古道を辿って八幡通りを北上すると、見えてきたのは大きな鳥居。
(道マニア・荻窪圭さん)
「ここは渋谷を代表する古い神社『金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)。ここに『渋谷城』と呼ばれる館があった」
神社の敷地内に、約500年前まであったという「渋谷城」。1092年創建の「金王八幡宮」と「鎌倉街道」との関わりを神社の方に聞いたところ、「旧鎌倉街道(八幡通り)と旧大山街道(国道246号)が交わる辺りに金王八幡宮があるので、交通の要になる。街道を監視し、守るためにお城が造られたのではないかと言われている」とのこと。
「渋谷城」を建てたと言われるのが、平安時代の武将・源頼義(みなもとのよりよし)に仕えた河崎基家(かわさきもといえ)。後に彼の子孫が「渋谷」の姓を授かった事が、街の名前の由来の1つと言われています。※街の名前の由来は諸説あり
原宿は本当の原宿ではない!?古道を辿ってかつて存在した「原宿村」へ
続いて2人が訪れたのは、若者の街・原宿。
(道マニア・荻窪圭さん)
「原宿駅はもともと『原宿村』の外れの外れ。本当の原宿の中心は違う」
世界的なカルチャーを発信し続ける原宿ですが、荻窪さんによるとかつては「原宿村」と言われ、今とは別の場所に存在していたそう。2人は、“本当の原宿”を目指します。
竹下口交差点から脇に伸びた1本の不自然な細道「原宿通り」は、昔からある古道。「鎌倉街道ではないが、江戸時代の絵図に載っている古い道」と荻窪さんは言います。
古道を歩くこと10分。「原宿通り」を北上し東に進むと、見えてきたのは寛永4年(1627年)創建の「妙円寺(みょうえんじ)」。敷地内には、「原宿発祥之地」と刻まれた石碑があります。
お寺の方の話によると、「昔は今と違い、原っぱの中の宿。原っぱの中に道があり、宿場町がポツンとあるような雰囲気だった」とのこと。さらに道なりに古道を進み、「外苑西通り」を横断したところで旧鎌倉街道に合流します。
(道マニア・荻窪圭さん)
「失われた古い道が多い。道端にある歴史の痕跡や伝承をつなぎ合わせ、1本の線(道)にしていく事が古道探索の最大の魅力」
9月10日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より