遊歩道として愛される阪鶴鉄道の廃線跡 温泉街として繁栄した宝塚市のルーツを巡る旅
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、バイクで日本を2周したこともある道マニア歴27年の松村真人さんが、兵庫県にある“宝塚市のルーツを知ることができる道”を巡ります。
宝塚市を繁栄させた阪鶴鉄道の廃線跡
松村さんと一緒に旅をするのは、墨と筆を使って妖怪を描く妖怪書家の逢香(おうか)さん。2人が訪れたのは、宝塚駅の北西に位置する武田尾駅付近。
(道マニア・松村真人さん)
「華やかなイメージのある宝塚市と違う、ギャップのある道を紹介したい」
高級住宅街があるベッドタウンとして有名な宝塚市。100年以上の歴史を持つ宝塚歌劇団など華やかなイメージがありますが、一方で、西には六甲山、北には長尾連山が位置しているため、自然に囲まれたギャップのある場所も多くあると松村さんは言います。
まずは、武庫川(むこがわ)渓谷にある「草山トンネル」へ。変わった特徴があり、それを見れば宝塚市の歴史の一部を知ることができるそう。
(道マニア・松村真人さん)
「トンネルの中がT字路になっていて、通行止めの方は真っ暗なトンネルの続きがある。ここは鉄道の廃線跡。100年以上前に造られた」
車道として使われているこの「草山トンネル」は、明治30年に開業した阪鶴(はんかく)鉄道の廃線跡。大阪から宝塚を経由し、京都の舞鶴を結ぶ路線の一部で、廃線後に車道へ転用する際、まっすぐ行く道を封鎖して横にトンネルを足したため、T字路のトンネルになりました。
阪鶴鉄道は明治40年、私鉄から国鉄になり、JR福知山線の一部として長年運行しましたが、昭和61年に廃止に。しかし平成28年、宝塚市武田尾から西宮市生瀬(なまぜ)までの4.7kmの区間が開放され、現在は遊歩道として使われています。
この遊歩道には当時とほとんど変わらない姿をしたトンネルが6つあり、石とレンガが混在する「長尾山第三トンネル」や、武庫川を渡る「第二武庫川橋梁」などが見られます。
明治20年、宝塚温泉が開場し、温泉街としての歴史がスタートした宝塚市。当時は交通の不便さから入浴客はとても少なかったそうですが、10年後の明治30年、阪鶴鉄道の開業で宝塚駅が誕生し、観光客は大幅に増加。
人気の温泉地とともに、街はどんどん発展していきました。
そんな宝塚市の発展に一役買った阪鶴鉄道の廃線跡は現在、誰でも歩ける遊歩道として地元の人たちから愛されています。
日本一狭い橋!?武庫川に架かる幅60cmしかない水道橋
続いて2人が訪れたのは、宝塚駅の近くにある武庫川沿い。松村さんが「ある点が日本一」と言う道へ向かうと…
(妖怪書家・逢香さん)
「これ、1人分じゃないですか!?細いですね」
(道マニア・松村真人さん)
「武庫川を渡る一番狭い橋。幅が60cmしかない。日本一狭い橋と言っても過言ではない」
現れたのは、道幅たった60cmしかない歩行者専用の「生瀬(なまぜ)水道橋」。この橋から200mの場所には「生瀬橋(なまぜばし)」が架かっていますが、近くの住民は近道としてこの狭い橋を日常的に使っているそう。
(道マニア・松村真人さん)
「橋の下に水道管が走っていて、上はゆがまないように支えるためのトラス構造。さらにその上に点検用の歩道がある」
もともとは水道管の点検用に造られ、関係者のみが立ち入ることができる橋でしたが、1975年に一般の人にも開放。
住民が増え、街がどんどん発展していく一方で、武庫川を渡る橋が少なく交通の面で不便だったところ、「生瀬水道橋」が開放されたことでこの地域の人々にとって欠かせない生活道路になりました。
「生瀬橋」は狭い橋にも関わらす車の通行量が多く、歩行者の安全が危惧されていたため、「生瀬水道橋」の一般開放は近隣住民にとって悲願だったと言います。
7月30日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より