県道745号はもともと水路だった!?三重県の自動車通行不能区間に眠る廃隧道の正体とは

2024年7月16日(火)放送
県道745号はもともと水路だった!?三重県の自動車通行不能区間に眠る廃隧道の正体とは 画像:CBCテレビ『道との遭遇』

ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国800か所以上の道を巡ってきた道マニア歴19年の石井あつこさんが、三重県にある“廃隧道”を巡ります。※許可を得て撮影しています。廃道は危険ですのでむやみに立ち入らないでください。

車が通れない県道に眠る廃隧道

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

石井さんと一緒に旅をするのは、一般の男性。2人が訪れたのは、三重県多気町(たきちょう)。

(道マニア・石井あつこさん)
「櫛田川(くしだかわ)に沿う県道に行きたい。市街地からほど近い県道にもかかわらず、自動車では通れない部分がある」

多気町と松阪市を走る県道745号には、「全長19kmのうち1km弱ほど自動車通行不能区間が存在する」と石井さんは言います。

県道745号片野飯高(いいたか)線の起点から西へ進むと、2車線道路から水路と並走する狭い道へと移り変わり、その先の建造物には「立梅(たちばい)用水200周年」と書かれています。

1823年、田んぼを開拓しお米を作るための農業用水路として、櫛田川から取水して造られた「立梅用水」。工事にはのべ24万7千人が携わり、全長30kmにも及ぶ長大な水路のおかげで水田は潤い、苦しい農民の暮らしが救われたと言われています。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

その水路はしばらく県道と並走し、途中で昭和46年(1971年)に造られた「立梅隧道」へ水が流れていきます。一方、県道は狭い道から再びセンターラインのある道へと変わりますが、突然途切れ、草に覆われた自動車通行不能区間へと変貌。

未舗装でありながら、歴史が感じられる石積みの路盤になっています。歩いて奥へ進むと、切り通しと廃隧道が出現!

(道マニア・石井あつこさん)
「ここは、『立梅隧道』ができるまで使われていた旧水路」

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

現在の水路は「立梅隧道」を通っていますが、それ以前は櫛田川沿いに水路があり、途中この廃隧道を通って農地へ水を運んでいたそう。

かつての水路は県道745号に転用されましたが、「新たに国道368号が造られたことで県道の整備が進まず、自動車通行不能区間になったのでは」と石井さんは言います。

さらに進むこと5分。旧水路の廃隧道が連続して2つあり、その先は再び車が通れる道と繋がります。

個人が造った隧道!?絵葉書に載る隧道を大調査

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

続いて訪れたのは、紀北町(きほくちょう)。

(道マニア・石井あつこさん)
「“三重?赤岩隧道”って書いてある古い絵葉書を見つけた。そこを訪ねたい」

石井さんが、廃道のリサーチの中で偶然発見。2人は、絵葉書に載っている「赤岩隧道」を探しに行きます。赤岩の近くにある小山に行くと、茂みの中にこぢんまりとした隧道を発見!

(道マニア・石井あつこさん)
「この隧道が、絵葉書の隧道だと思う」

天井が低く、手前はコンクリート巻き、奥は素掘りの状態。扁額はなく、隧道の詳細が分かりません。近くの集落で聞き込みしたところ、この隧道がまさに絵葉書の「赤岩隧道」であることが判明!「先代の人が一人で、蚤(のみ)で掘った」と言います。

画像:CBCテレビ『道との遭遇』

紀北町は大部分を森林が占めていて、昔から林業が盛んな地域でした。かつては奥地で伐採した木を筏(いかだ)で川に流し運び、海沿いの貯木場に集め、そこから必要な材木を町の製材所へ運搬していました。

そこで、この町で製材所を営んでいた人が地域の利便性を図るため、人道用として「赤岩隧道」を個人で掘削。貯木場から材木を大八車(だいはちぐるま)に乗せ、「赤岩隧道」を使って運搬していたそう。

また、東南海地震が起きた際や戦争時には、「赤岩隧道」へ避難することもあったと言います。

7月16日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より

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