「想像を絶する避難所生活だった…」 孤立状態を強いられる日々 東日本大震災の被災経験者から学ぶ“備え”とは
災害大国と言われる日本。災害への備えが問われる今、実際に避難所生活を経験した人は、今どのような備えをしているのか。約13年前、宮城県石巻市で東日本大震災を経験した、現在大学生の岩倉侑(あつむ)さんにお話を聞きました。
想像を絶する避難所の現実
東日本大震災当時、岩倉さんは小学2年生。震度6弱から6強の地震を経験し、生まれ育った集落一帯は津波の被害に遭って壊滅状態に。
学校の教室で被災した後、すぐに高台に避難して無事だったものの、自宅は津波で流され、祖父母と妹とともに避難所生活を余儀なくされました。
(被災経験者・岩倉侑さん)
「避難所生活の期間は、トータルで3週間ぐらい。高台にある高校の武道館に避難をしたが、その時は高台自体が孤立状態で、本当に何もない状態だった」
3日間の孤立状態を強いられた岩倉さんたちは、“水”がなく困ったと言います。
(被災経験者・岩倉侑さん)
「1回だけ、ウォーターサーバーの上にセットする水が1つだけ武道館に届いた。それを、100人以上の人たちで分け合った。3日間でその1本。家族4人で紙コップ1杯しか水を分けてもらえなかった」
さらに、最もつらかったというのが“食料”。
(被災経験者・岩倉侑さん)
「(食料は)3日間のうちの最初の1日目は、買ったものでしのいだ。高台にあったお菓子屋さんが避難所にお菓子を提供してくれたり、近くの人と分け合ったりしながらなんとか乗り切った。もうこれ以上はないというギリギリの状態」
避難から4日目、ようやく孤立状態が解消。しかし、避難所での生活は、想像を絶するものだったと言います。
(被災経験者・岩倉侑さん)
「トイレは、たまに学校のプールの水をくみ上げて流してはくれてはいたそうですが、基本的にしっぱなしという状態。備蓄の中に毛布やカイロなど暖をとるものはなく、耐えられないくらい寒かったのを覚えている」
想定と現実とのギャップ…“自助”が必要不可欠
被災のつらい経験から岩倉さんは、今は災害に対して十分な備えをしているそう。ベッドの下には、携帯用トイレや除菌シート、アルミシートにばんそうこうなど20品目以上が入った防災バッグを常備。中身には、避難所生活の記憶が反映されていると言います。
また、防災バッグとは別に、小さな手提げ袋もベッドの下に用意しているのだとか。
(被災経験者・岩倉侑さん)
「(手提げには)簡単に食べられる食料や水などが入っている。賞味期限がある食品などは、手提げだと簡単に出し入れができる」
一人暮らしの部屋には、棚1つ分を使って1か月ほどの食料を備蓄。水や缶詰、ビスケットなどの食料を常備しています。こうした備えをするのには、震災時に利用した避難所が想像とは違って何もなかったことに驚いたからだと言います。
(被災経験者・岩倉侑さん)
「避難所には毛布や食材があって、自家発電の電池もあると教えられた。実際は水一つなかった状態。その驚き、ギャップはよく覚えている」
想定と現実とのギャップ。自分自身や家族の命を守る“自助”が、防災において必要不可欠ということを、岩倉さんは教えてくれました。皆さんも、すぐできる備えから始めてみてはいかがでしょうか。
CBCテレビ「チャント!」1月23日放送より