竜党歓喜!日本一5度の名将・工藤公康さんが中日ドラゴンズの新監督へ

そのニュースにドラゴンズファンは沸き立った。かつて福岡ソフトバンクホークスを率いて5度の日本一を成し遂げた工藤公康さんが、竜の新監督に就任する見通しとなった。長きにわたり低迷にあえぐチーム、工藤新監督の手腕に期待が高まる。(敬称略)
甲子園ノーヒットノーラン
選手時代から一度も竜のユニホームを着たことがない工藤さんだが、ドラゴンズの本拠地、愛知県名古屋市の出身である。1981年(昭和56年)、名古屋電気高等学校(現・愛知工業大学名電高等学校)時代の夏の甲子園大会では、見事ノーヒットノーランを達成した。左腕からくり出す鋭く落ちるカーブの球道は、今も目に焼きついている。地元のドラゴンズに入団してくれたらいいなと思っていたが、西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)にドラフト6位で指名されて、プロ野球の道を歩み始めた。
選手でも監督でも“勝利を知る”
その活躍はめざましかった。讀賣ジャイアンツなど4球団を経験した現役時代には、通算224勝を挙げた。最優秀防御率など数々のタイトルに加えて、MVPを2度受賞。まさにライオンズ黄金時代のエースだった。現役引退後は、指導者としても大いなる実績を残した。2015年(平成27年)からはホークスの監督をつとめて、7年間でリーグ優勝3度、日本一5度と、まさに“平成の名監督”だった。そんな工藤さんとドラゴンズの絆がいよいよ結ばれる。
元・巨人の水原監督を招聘

90周年を迎えたドラゴンズの歴史に残る、ひとりの監督を思い出した。水原茂さんである。1969年(昭和44年)から3年間、ドラゴンズを率いた“名将”。この水原さん、実は讀賣ジャイアンツの監督を11年間つとめて、リーグ優勝8度、日本一4度という輝かしい成績だった。その後もパ・リーグの監督としても優勝するなど、まさに大物監督だった。一度もドラゴンズのユニホーム経験のない水原さん、それも巨人の大物監督が名古屋にやって来たのだ。
星野や谷沢を育てた手腕

とにかく“かっこいい”監督だった。自ら3塁コーチに立つ姿は、実に颯爽としていた。竜選手のホームランが飛び出すと、帽子を取ってスタンドに大きく手を振りながら、選手を迎えた姿も懐かしい。
就任した年のドラフト1位で星野仙一投手を、翌年には谷沢健一選手を指名して、それぞれルーキーの年から起用した。ドラフト9位で獲得した島谷金二選手を打てなくても1年目から起用し続けて、見事サードのレギュラーに育て上げたのも水原監督だった。目利きであり、育成にも長けていた。厳しくも思いやりのある大物監督で、“勝負師”と呼ばれた。
ついに外部からの監督登用
ドラゴンズにとっては、1984年(昭和59年)から監督だった山内一弘さん以来、実に40年以上ぶりの“外様監督”となる。しかし、今回のドラゴンズ球団の決断には納得がいく。落合博満監督による8年間の“黄金時代”の後、高木守道(※「高」は「はしごだか」)、谷繁元信、森繁和、与田剛、立浪和義、そして井上一樹と、過去に選手またはコーチとしてドラゴンズに在籍した人の監督が続いた。そして、もう15年もの間、リーグ優勝から遠ざかっている。
特に“切り札”として期待された立浪監督は、3年連続の最下位という結果に終わり、チーム浮上は、手詰まり感が強かった。今回ついに、フロントは監督の外部招聘という決断を下した。そこには、大きく変わろうとする球団の危機感と覚悟がはっきりと見える。
球団挙げての出直しへ

2026年(令和8年)のペナントレース、40回もの逆転負けをするなど“勝ち切れないチーム”となっているドラゴンズ。しかし、多くの野球評論家が指摘するように投打の戦力は整っている。現役時代も監督時代も、とにかく“勝ちの世界”に生きてきた工藤新監督が、どんな野球を見せてくれるのか。それには球団フロントの全面的な支援も必要である。長年“負け癖”がついた選手たちの意識改革も必要である。“優勝請負人”とも呼ばれる工藤新監督だが、球団挙げての出直しが必要となる。
かつての水原茂さんも山内一弘さんも、実はドラゴンズの監督としては優勝できなかった。新監督になる工藤公康さんには、是非、2人が達成できなかった夢を実現してほしい。ようやく始まる“竜の逆襲”が楽しみでたまらない。
【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)ほか。
















