丸佳浩選手FA移籍でドラゴンズファンも敬意を表したい広島カープの底力
広島東洋カープの丸佳浩外野手が、フリーエージェント宣言の末、讀賣ジャイアンツへ移籍することになった。
2年連続でシーズンMVPに選ばれた正真正銘リーグ3連覇の中心選手である。不動の3番打者である。これだけの大物選手のFA移籍は、8年前に横浜DeNAベイスターズから内川聖一内野手が福岡ソフトバンクホークスに移って以来だろうか。
カープは大人の対応
球団そしてカープファンの心情は察するに余りある。球団も異例の「FA宣言後の残留」を認めていたほど。
名古屋の地ではドラゴンズファンはもちろん、野球好きでない友人知人も巻き込んで「やっぱりジャイアンツか」「1年前はドラゴンズからゲレーロを持っていかれた」「一体何人の選手を集めるんだ」とまるでわがチームのように「丸FA移籍」が話題になった。
しかし、カープの松田元オーナーや緒方孝市監督の談話を見ると、内心の思いは計り知れないものの表向きは大人の言葉、落ち着きがあるように思う。それはカープが歩んできた力強い球団史に根づくものなのだろう。
落合FA移籍に衝撃
日本プロ野球界にフリーエージェント制が導入されたのは1993年(平成5年)、あれからちょうど四半世紀が経つ。
ドラゴンズファンは「FA」についてことのほか理解し、かつ敏感である。なぜならそれは落合博満選手に起因する。ドラゴンズの主砲だった落合選手は、FA制度がスタートされたと同時に、第1号として手を挙げてジャイアンツへ移籍した。4番打者がチームを去ることも衝撃だったが、それ以上に移る先がジャイアンツとあって相当なショックを受けた記憶がある。
広島からのスター選手流出
これまでFA宣言して他チームへ移籍した選手の名前を見直すと、大物選手がひときわ多いのが広島カープである。
落合選手の翌年1994年に左腕の川口和久投手がジャイアンツへ移籍、そして5年後の1999年には江藤智内野手がこれもジャイアンツへ。同じ年にはホークスから工藤公康投手もジャイアンツへFA移籍した。
2002年には金本和憲外野手、2007年には新井貴浩内野手が、今度は相次いで阪神タイガースへ移籍。それに加えて、新井選手と同じ年には黒田博樹投手が海を渡ってメジャー入りしている。いずれもチームを背負っていたスター選手たちである。この他の他球団で過去にFA移籍した大物選手は清原和博選手や小笠原道大選手ら数人ぐらいなので、いかにカープからの人材流出が際立つかがわかる。
カープのチーム作りはすごい!
それでも今季までリーグ3連覇を達成している。セ・リーグにはジャイアンツの他に3連覇以上したチームはない。優勝の度に言われる広島カープのチーム作り。次々と自前の選手を育てていく風土は見事である。
先日、東京都内で行われた野球イベントで落合博満さんが「カープ4連覇」を口にした。丸選手の穴は計り知れないほどに大きい上、移籍先が同じリーグのチームである。それにもかかわらず、おそらく代わりの誰かがちゃんと出てくるだろうと予感させるチームに、カープは育ったのだろう。そして毎回の優勝後に「自前で選手を育て上げてきた」姿勢が多くの人から評価を受けている。
それでもその一方で、相変わらず他球団で育った選手を集める球団もある。どちらがどうだという評価は差し控える。それは組織の体質なのだから。ただシーズン成績は完成した選手を集めてのチーム作りに必ずしも比例しないことは歴史が証明している。
丸選手の他、パ・リーグでは埼玉西武ライオンズのリーグ打点王だった浅村栄斗内野手がFA宣言してチームを離れた。期せずして両リーグの優勝チームから3番打者が抜けて、同じリーグのライバルチームに移籍した。こうした動きを見ていると、導入から25年、日本におけるFA制度の定着ぶりを感じる。
かつて主力選手のトレードやFA移籍に涙した経験のある身としては、移籍についてドライになってきた球界にわずかながらの戸惑いを感じるのも正直な気持ちではあるが・・・。