「ポテトチップス」はじめて物語~米NY生まれのスナック菓子が日本で人気獲得

「ポテトチップス」はじめて物語~米NY生まれのスナック菓子が日本で人気獲得

人気のスナック菓子のトップクラスであろう「ポテトチップス」。その何とも言えない香ばしさについつい手を伸ばしてしまう、さらに止まらない。そんな魅力の日本における進化の歴史を追った。

それは1853年、アメリカのニューヨーク州。ホテルのレストランで出されたフライドポテトに客のひとりが文句を言った「ポテトが分厚すぎる」。薄く切って出しても文句、さらに薄く切っても文句、客があまりにくどいため、コック長は超薄切りにスライスして、カリカリに揚げたポテトを出したところ、その客は声を上げた。
「美味い!」。
ポテトチップスが誕生した瞬間だった。すぐにレストランのメニューにも仲間入り。そのコック長ジョージ・クラムさんは“ポテトチップスを発明した名コック”となった。ご多分に漏れず「ポテトチップス」発祥についても諸説あるが、このエピソードは何とも楽しい由来である。この“超薄切りフライドポテト”は20世紀に入ると、袋詰めで売り出された。

舞台はハワイへ飛ぶ。浜田音四郎さんという日系2世は、その「ポテトチップス」を製造する会社で働いていた。太平洋戦争が終わり、祖国ニッポンに帰った浜田さんは、作り方を覚えていたポテトチップスを日本でも作って販売した。その名も「フラ印(じるし)」。踊りをするフラガールが袋には描かれていた。これが日本で最初のポテトチップスと言われる。しかし、当時の日本ではあまり受け入れられず、進駐軍の米兵しか買わなかったと伝えられる。

CBCテレビ:画像『写真AC』より「のり塩味のポテトチップス」

1960年代に入って、この「ポテトチップス」の量産が始まった。目をつけた人の名は小池和夫さん。ある日、たまたま入った居酒屋で、お店手作りの“薄切りフライドポテト”を食べた小池さんは、それを量産しようと決意する。実は小池さんは1953年(昭和28年)に創業した菓子メーカー「湖池屋」の創業者、お酒などの“おつまみ”を作っていた。小池さんはその経験を活かして、ポテトチップス作りを始めた。釜の油で揚げるのではなく「オートフライヤー」という高圧の蒸気で大量加工、じゃがいもも家庭で食べる芋は糖度が高く焦げやすいため、別の種類を探した。味付けには特にこだわり、様々な味をブレンドして試行錯誤した結果、選んだのは“塩”と“のり”の味だった。こうして1962年に「湖池屋ポテトチップス のり塩味」が発売された。
 
日本人の味覚に合う“のり味”の効果もあって「ポテトチップス」は日本でも、次第に人気の菓子となっていく。1975年にはカルビーが参画、「カルビーポテトチップス うすしお味」が発売された。その後、この「○○味」は、コンソメ、しょうゆ、バーベキュー、わさび、梅、唐辛子、かつお節などの風味に加え、ピザ味、フライドチキン味、瀬戸内レモン味、海老バター味など、一気に増えていく。味にも細やかな日本ならではの成長だった。「寝椅子(couch)」でゆったりとポテトチップスを食べながらテレビなどを観る「カウチポテト」という言葉は日本でも流行した。

米国生まれの「ポテトチップス」に様々な味を加えることで、人気のスナック菓子に育て上げたニッポン。「ポテトチップスはじめて物語」のページには、日本のお菓子文化の歩み、その確かな1ページが“香ばしく”刻まれている。
          
【東西南北論説風(306)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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