CBC web | 中部日本放送株式会社 / CBCテレビ / CBCラジオ

MENU

中日OB・川上憲伸が語る、地方球場ならではのドラマ

中日OB・川上憲伸が語る、地方球場ならではのドラマ

元中日ドラゴンズ投手で野球解説者の川上憲伸さんが、11月1日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演。現役時代に足を運んだ地方球場について語りました。滅多に投げない地方球場ならではの濃い思い出について、若狭敬一アナウンサーが尋ねます。

関連リンク

この記事をradiko(ラジコ)で聴く

母校の伝説の試合

地方球場について「畑の土の匂いが匂ってくるのどかな雰囲気がある」と印象を語る川上さん。

川上「福井で投げてますね。桃山球場って言うところです」

若狭「福井は…投げておりません。桃山球場は富山です(笑)」

いきなり勘違いする川上さんですが、最初に浮かぶほど印象に残っているというのが魚津桃山運動公園 桃山野球場。
球場が完成したのは、1987年(昭和62年)のことです。

1958年(昭和33年)の夏の甲子園、史上初めてアメリカ施政下の沖縄県代表が参加した第40回記念大会に遡ります。

川上さんの母校、徳島商業と地元・魚津高校との対戦は、史上初の延長18回・引き分け再試合になりました。
この時互いに相手に点を許さなかったのは、徳島商業の板東英二さんと魚津高校の村椿輝雄さん。

翌日の再試合でも徳島商業は板東さんが先発。村椿さんも4回途中からリリーフ登板。結果は3対1で徳島商業が勝ちました。

飛行機、ホタルイカ、蜃気楼

それから31年後のこと。川上さんは桃山球場へ向かいました。

川上「親善試合が33年ぶりにあったんですよ。板東英二さんが来てくれたんですよ」

川上さんは高校生。この試合の移動で初めて飛行機に乗ったそうです。当時は桃山球場ができたばかりで、桃山球場の初ホームランを打ったのはなんと川上さんでした。

川上「夜輝くホタルイカを見て食べて、次の日の朝、蜃気楼見て帰ったという思い出があるので、この話はひとつ入れさせてもらいました」

富山を満喫。川上さんの高校時代のよき思い出でした。

地方球場での成績

プロとして足を運んだ地方球場の話題に戻ります。
若狭が調べたデータによると、川上さんは、1998~2008年の11年間、2012~2014年の3年間、合計14年間NPBで活躍しました。

10カ所の地方球場で16試合に登板してプロ通算3勝8敗。地方球場防御率は5.76。

地方はやや苦手とする中で、一番いい成績だった球場が札幌市円山球場。3試合に登板して2勝0敗、防御率3.71。

地方球場での成績3勝のうち2勝を挙げたのは札幌市円山球場でした。
ルーキーイヤーの1998年は東京ヤクルトスワローズ戦で6回3分の2、1失点。
プロ2年目の1999年は読売ジャイアンツ戦で5回3分の1、2失点。いずれも勝ち投手でした。

巨人ファンの冷たい洗礼

川上「外野のフェンスが僕よりも低かったもん」

照明がない円山球場は必ずデーゲーム。練習中にはっきりとファンが見えたそうです。距離が近く、その上当時はテレビ中継の関係で巨人ファンばかり。
勝った翌日に外野を走っていると、川上さんの悪口しか聞こえてこなかったそうです。

川上「日本ハムが北海道に行ってくれたからファンが分かれましたけど当時は巨人一色。東京ドームより悪いぞってぐらい口が悪い(笑)」

東京ドームでは「川上、ナイスピッチング。あの試合はしかたないな」などの声も聞かれたとか。さらに巨人ファンの猛攻が。

川上「夏なんです。何が起きると思います?水鉄砲の水が飛んでくるんですよ。冷たっと思ったら、チュッチュッてやってる。こどもじゃないんだから(笑)。それもたまに気持ちいいけどね」

札幌市円山球場の印象は強いようです。

投手に打たれる

若狭が調べたデータに戻ります。川上さんが地方球場で3試合投げたのは札幌市円山球場だけ。2試合登板したのが倉敷、浜松、金沢、富山でした。

倉敷は0勝1敗、防御率4.15。浜松は0勝1敗、防御率8.59。金沢は0勝2敗。防御率6.00と、勝ち星はありません。

若狭「金沢は2戦2敗なんですね」

川上「これ、両方とも石川(雅規)君にやられましたよ」

2003年のヤクルト戦は5回6失点で負け。4回に白石タイムリー、石川タイムリー、佐藤タイムリーを浴びます。

2004年のヤクルト戦では1回6失点で負け。1回に白石タイムリー、ラミレスタイムリー、そして石川タイムリー。なんと1回でノックアウトされています。

若狭「ヤクルト、サウスポーの石川雅規投手にとどめを刺されましたね」

タイトルを取れた理由

1回6失点のその金沢の遠征では、川上さんだけ前泊したそうです。その時の電車では、偶然当時の中日新聞社社長、球団社長と一緒に来たんだとか。

川上「『川上君か。明日頑張りたまえ』。『頑張りまーす』って言ってボコボコに打たれた(笑)」

その後、遠征について行けず、名古屋にひとりで帰ることに。すると、帰りの電車でも社長たちと一緒。

川上「『切り替えたまえ』『切り替えられません』って感じですよ」

つらい思い出を胸に金沢を後にした川上さんですが、その後、上手く切り替えられたようです。

この2004年、川上さんは最多勝、沢村賞、リーグMVPなど9つのタイトルを獲得。落合博満監督1年目のリーグ優勝にも貢献しました。

若狭「わからんもんですねえ」

川上「川上君はそこで、このままだと良くないと身の危険を感じたんでしょうね(笑)」
(尾関)
 

この記事の画像を見る

オススメ関連コンテンツ

PAGE TOP