完全なる「ノンアルコールビール」を生み出した日本メーカーの挑戦とビール愛
3年余りに及んだ新型コロナウイルスの感染拡大によって、飲食店ではお酒の提供ができない時期もあった。そんな中、国産の「ノンアルコールビール」は、本物のビールに負けない風味から、多くの人によって飲まれて、愛された。老舗ビールメーカーが挑んだ「ノンアルコールビール」作りの歴史である。
「ノンアルコールビール」は、1920年代の米国で生まれた。アルコールによる犯罪や中毒が多発し、禁酒法によってアルコールが規制された中、ビールの“代替品”として作られた。英語では「ノンアルコールビール」ではなく「ニアビール(Near Beer)」と呼ぶ。日本でも、大正時代の末期から「ノンビア」というビール風味の飲み物が姿を見せた。よく知られているのが、1948年(昭和23年)に発売された「ホッピー」。しかし「ノンアルコール」と言いながらも、実はごく少量、0.8%のアルコール分が含まれていた。法律の上では、1%未満ならば「お酒」ではなかった。各メーカーも次々と商品を売り出したが、1%未満とはいえ、アルコール分は入っていたため、車を運転する人などもそれを警戒して、思うように売れ行きは伸びなかった。
そんな中、日本を代表するビールメーカー「キリンビール株式会社」が、本格的にノンアルコールビールの開発に乗り出した。きっかけは、2007年(平成19年)4月の道路交通法改正だった。飲酒運転や酒気帯び運転が厳罰化されて、さらに、車を運転するドライバーにお酒を勧めた場合も罪に問われるようになった。調査に対し、9割ものドライバーが「ビールを飲みたいけれど我慢している」と答えた。少量とはいえアルコール分の入っているビールテイスト飲料では、飲む人の不安を取り除くことはできなかった。
「まったくアルコール分の入っていない、完全なノンアルコールビールを作ろう」。
キリンビールが採用した製造方法は「ビール独特のアルコール発酵をさせないこと」だった。麦汁とホップを使いながらもアルコール発酵はさせないので、酵母は使わない。しかし、酵母から生まれる“ビール風味”は出さなければならない。そこで、キリンビールは社内の力を結集する。チューハイ部門の技術者を、開発チームに加えた。レモンチューハイなどチューハイ作りは「香りの調合」こそが“生命線”だった。その技術を応用することで、酵母が作り出す独特の香りを開発した。
アルコール発酵させないという製法によって出来上がった飲料は、酸味も強かった。今度は、ジュースなど清涼飲料水を作る担当者に協力を仰ぎ、酸味をコントロールする方法にもたどり着いた。「この程度の味ならば、他の炭酸飲料を飲んだ方がいい」とは、絶対に言われたくない。風味、飲み心地、そしてキレの爽快感。ノンアルコールビール作りには、ビール会社としての意地と情熱があった。
2009年(平成21年)、キリンビールの新たなノンアルコールビールが発売された。世界で初めての“完全なノンアルコールビール”だった。商品名は「キリンフリー」。まさにアルコール分は0.00%だったので、その具体的な数字「0.00%」を缶や瓶のラベルに打ちだした。商品は“ビール系”と受けとめてもらうため、キリンビール伝統の「麒麟」の絵も使った。「キリンフリー」は発売わずか1か月で、初年度1年間の目標をクリアする大ヒット商品となった。
翌年には、仕込み段階の麦汁に余計な風味を加えない「麦芽100」を発売した。世間に「休肝日」なる言葉が生まれたのも、このころである。アルコールメーカーとしては異例のコンセプトも、キリンビールがけん引した。2015年には「パーフェクトフリー」を発売。「パーフェクト(完全)」という名前を付けた新商品によって、ノンアルコールビール作りを、さらに推し進めた。ビールをとことん愛し、ビールを知り尽くしているからこそ成しえた開発。こうして、ビールは「酔うためのお酒」から「風味を楽しむ飲料」としても、ニッポンの開発技術によって進化した。
最近では、内臓脂肪を減らすノンアルコールビールも登場し、健康ブームの中、人気を集めている。また、ビールに留まらず、ノンアルコールワイン、ノンアルコールチューハイ、そしてノンアルコールカクテルと、「ノンアルコール」の飲み物は、そのすそ野を広げている。
「ノンアルコールビールはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“まるでビールそのもの、0.00%の風味で”泡立っている。
【東西南北論説風(440) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。