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検証・日大アメフト危険タックル問題~時代を映し出す6つのカギとは?

検証・日大アメフト危険タックル問題~時代を映し出す6つのカギとは?
CBCテレビ:画像『pixabay』

「アメリカンフットボール」というスポーツが日本国内で浸透した1か月となった。
2018年5月・・・しかし、それは日本のアメフト史に大きな傷跡を残す日々となった。
アメフト界そしてスポーツ界に留まらず、社会的な関心を集めてきた日本大学アメフト部選手による危険タックル問題は、関東学生アメリカンフットボール連盟が日大チームに対して厳しい処分を出したことで、ひとつの節目を迎えた。
関西学院大学のQB(クオーターバック)選手に傷を負わせた危険タックルは日大前監督と前コーチの指示だったと認定し、2人を永久追放となる「除名」処分に、タックルした選手と日大チームを今年度公式戦での「出場資格停止」処分とした。

今回の問題では2つの記者会見が象徴的だった。
危険タックルをした選手が「監督の指示だった」と明かし、それを受けて前監督と前コーチが「指示はしていない」と真っ向から否定した。
後者の記者会見では司会者の進行問題という番外編まで付いてきたが、被害側の関学の記者会見や家族による被害届の提出、さらに刑事告訴なども加わり、連日、熱いニュースとなった。あらためて一連の動きを俯瞰して、6つのポイントから整理してみたい。

最初に「真実はどこに?」という本質に関わる問題。
「危険タックルの指示はあったのか?なかったのか?」本来なら単純明快なはずの追及が、言い分が対立した2つの記者会見によって出口を失った。関東学生連盟が前監督らの主張を「信頼性に乏しい」と認定したことから現時点での結論は出た形となった。
開会中の国会審議を思い浮かべた人も多いのではないだろうか。「首相官邸で会った?会わない?」「いいねと言った?言わない?」「公文書は廃棄した?残っていた?」・・・答はひとつ、しかし真実が明らかにならない。政治もスポーツも曖昧模糊とした空気に包まれている。
それにしても、責任ある立場の人間が記者会見で語った内容が真っ向から「虚偽」と否定されたケースも珍しい。国会にはこうした連盟はもちろん存在しないが、「もしあったら?」とふと思う。どんな認定をするのだろうか。

スポーツの世界では、去年秋に大相撲で元横綱・日馬富士による暴行事件が起き、この際も相撲協会の危機管理のあり方が問われたが、今回も日大側の対応には多くの課題が残った。事態把握の動き、記者会見のあり方、そして情報開示のスピードなど、何よりも対応が後手後手に回ったことは否めない。
15年前に名古屋市内での刑事ドラマのロケで車が見物客の中に突っ込みケガ人が出る事故があった。プロダクションは即刻番組の放送中止を決めると共に、社長でもあった大スター俳優が病院に赴き土下座で謝罪、逆に「制作をやめないで下さい」と言われた逸話を思い出す。
危機管理には、起きた事態を大きく捉え迅速に対応することが求められる。

3つ目に「客観的調査の信頼性」が揺らいでいる。
選手側は被害届に留まらず、前監督と前コーチについて傷害容疑での告訴に踏み切った。被害届が出された段階での記者会見で関学側は、今回の真相究明について「日大の第三者委員会や連盟の規律委員会の調査では限界があり、最終的には捜査機関によって真相が究明されることを強く希望する」と話している。大学は「自治」にこだわる場であるはずなのだが、大学同士の不信が極まったことによって、司直の手が入る道を大学当事者が望む事態に至ったことに憂慮を禁じえない。

4つ目に「SNSの影響」も時代を映す。
今回の危険タックル問題がここまで大きくクローズアップされたのは、タックル場面の動画がテレビだけでなく、インターネットの中で拡散したことが大きな要因である。多くの人がその瞬間の映像を何度も目にした。それによって関心が高まった。
また、こうした映像が撮影されている時代でもある。どのチームもプレイ分析や戦略立案などのため試合全体をカメラ収録することは当たり前、関学側から発表されたものをはじめ様々な角度からの映像が明らかになった。
今回の反則行為について「インカム(ヘッドホン)を落としてしまい見ていなかった」と連盟に弁明した前監督の主張もこれらの映像検証によって「虚偽」と認定された。

5つ目に「伝統スポーツ本来の姿」を挙げたい。
前監督と前コーチの記者会見で、大いに引っかかった言葉がある。それは「甲子園ボウル(去年)で優勝して免疫のない選手が判断を間違えた」という前監督のひと言だ。前コーチも、危険タックルをした選手の「理解不足」「未熟さ」を言葉に醸し出していた。
そこにはまるで「自分たちの伝統についてくることができない世代が悪い」と言わんばかりの空気が感じられる。もし免疫のない未熟な選手がいるのならば、正しい判断ができるように育てることこそが指導者の責任ではないか。

それに続く最後のポイントは「学生スポーツは教育の場」という大原則である。
大学スポーツはもちろん「教育の場」である。今回、加害側の日大で最初に公の場で記者会見を開いたのが危険タックルをした当事者の選手だった。そのことひとつをとっても、大学側の姿勢に疑問を投げかけざるをえない。なぜ20歳の大学生をたった一人でその場に立たせたのか? いわんや、その直後に指導者たちが出てきて、その学生の主張を覆すなど論外である。勝利を求めるあまりプロスポーツとの境界線が溶解してきてしまったとしたら本末転倒だろう。

関東学生連盟は、日大の選手とチームにも処分を下したが、反省文や再発防止策の提出、さらに抜本的改革などによって「出場停止」という処分を解除する道を残している。
松任谷由実の作品に『ノーサイド』という歌がある。アメフトではなくラグビーを舞台にしたものだが、大学生活最後の試合に臨んだ選手の戦いと学生スポーツからの引退という心情を描いた名曲だ。歌詞の中に「同じゼッケンを後輩がつけて来季の試合に向かう」という下りがあるが、ラグビーだけでなく、学生時代にスポーツに打ち込んだ経験がある人ならば、そのバトンタッチの思いに共感できるのではないだろうか。
決してチームに責任がないとは言えないが、それでも日大アメフト部の4年生選手たちが、汗と涙にまみれた自分のゼッケンを卒業前に後輩に渡すことができる日が今シーズンもめぐり来ることを願ってやまない。

【東西南北論説風(45) by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

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