又吉克樹投手がホークス移籍~ドラゴンズFA選手列伝と立浪竜への期待
やはり去ってしまった。中日ドラゴンズの強力なセットアッパー又吉克樹投手が、国内FA(フリーエージェント)権を行使して、福岡ソフトバンクホークス入団が決まった。
背番号「16」の8年間
沖縄県出身の又吉投手は、独立リーグ・四国アイランドリーグからドラフト2位でドラゴンズに入団した。最初のシーズン2014年、67試合に登板して9勝1敗33ホールドポイントの見事な成績で、いきなり中継ぎ投手陣の柱となった。表情を変えないひょうひょうとした投球スタイル、そして抜群のボールのキレ。調子を崩したシーズンもあったが、2021年は入団初年度に続く66試合に登板した。特に抑えのライデル・マルティネス投手が五輪予選のため不在だったセ・パ交流戦では、10試合にクローザーとして登板して7セーブを挙げる活躍だった。FA移籍後の2022年からは交流戦で戦ったパ・リーグ選手たちと戦うことになる。
落合選手のFA移籍に衝撃
ドラゴンズのFA権行使というと、真っ先に浮かぶのは落合博満さん。1993年に制度が導入されると、松永浩美さん(当時は阪神タイガース)らと並んで、早々にFA宣言をして讀賣ジャイアンツに移籍した。竜の四番打者のFA移籍、ファンの本音とすれば、FA宣言は仕方なきにしても、移籍先がよりによって“宿敵”ジャイアンツとはと、大きなショックを受けた記憶がある。その最初の年、最終戦での同率対決「10・8決戦」で、エース今中慎二投手が、落合選手にホームランを打たれた時は“悲鳴もの”だったという竜党は多い。しかし歳月が流れ、その落合さんが監督としてドラゴンズに復帰して、球団史に輝く黄金時代を築くのだから、やはり野球にはドラマがある。
ドラゴンズFA選手の顔ぶれ
落合さんから数えて、ドラゴンズではこれまでに11人がFA権を行使した。宣言してそのままチームに残ったのは、2001年の山崎武司選手と2005年の谷繁元信選手。ファンも納得して送り出したのが、2007年の福留孝介選手と翌2008年の川上憲伸投手、この2人は共にメジャーリーグへ渡った。移籍がとても悲しかったのは、2005年の野口茂樹投手だろう。ジャイアンツ相手にノーヒットノーランも達成して、星野監督に率いられリーグ優勝を果たした1999年にはMVPを獲得するなど活躍した“生え抜き投手”だっただけに残念だった。2013年の中田賢一投手、2015年の高橋聡文投手のFA移籍は、今ふり返るとチームが長き低迷期を迎える最初の頃だけに、何とも痛かった印象を持つ。この他、前田幸長、中村紀洋、小池正晃の3選手もFA移籍でドラゴンズ
を去った。
ライオンズはFA輩出の宝庫
FA宣言しての移籍はドラゴンズでは又吉投手が10人目になるが、プロ野球12球団で最も多いのは埼玉西武ライオンズである。実に18人がFAで移籍した。この内の和田一浩選手は2007年にドラゴンズに移籍して、落合監督の下で大活躍したが、この他、1994年の工藤公康投手と石毛宏典選手、1996年の清原和博選手から始まり、2013年の涌井秀章投手、2016年の岸孝之投手らそうそうたるメンバーがFAでライオンズを去った。2位は北海道日本ハムファイターズ、3位は福岡ソフトバンクホークスと2021年にリーグ優勝したオリックスバファローズ、こうして見るとパ・リーグの球団に“実力者”が多いのであろうか。124人目のFA移籍選手になる又吉投手の活躍を見守りたい。
「選手の権利」と言われるFA、導入後30年近い年月によって、すっかり日本プロ野球にも定着した。“又吉広報”という別名で、ドラゴンズの魅力を自身のツイッターで発信し続けてくれた又吉投手。別れはつらいが、来季の活躍を願いながら気持ちよく送り出せるのも、ドラゴンズが立浪和義新監督の下で大きく成長しようとする姿を見ている、ファン心理の“余裕”からなのかもしれない。まずは交流戦での“ホークス又吉克樹”との対戦が今から楽しみである。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。