フルスイングの強打スラッガーはドラゴンズにいつ出現するのか?
オールスターゲームをはさんで歓喜の8連勝、その後に続いた悪夢の8連敗。そして一進一退の現在。ドラゴンズファンとしてこの“乱高下”には相当戸惑い、そして落ち込んだ。2位に浮上した瞬間に「今年はイケるぞ」と期待しただけに、あっという間のBクラス転落はショックだった。そんな8連敗の最初は1点差での敗戦が4ゲーム続いた。
あと1点、あと1本。そんな中でふと今年の球宴風景が記憶に蘇った。
恐るべし「山賊打線」の打者たち
オールスターゲーム第1戦に埼玉西武ライオンズの2人の選手が放った見事なホームラン、その勢いと弾道が忘れられない。
まず森友哉選手。プレイボールしばらく後の2回表に特大の2ランを打った。「バット一閃」という表現がぴったりの凄まじいスイングによって、ボールは東京ドーム右翼バルコニー席に飛び込んだ。森選手はこの1打によってこの試合のMVPに選ばれた。
次は同僚の山川穂高選手。この時点でパ・リーグの本塁打王だけに、誰もが一発に期待したが、それに見事に応えて6回表左翼席中段にソロホームランを打った。山川選手自身、球宴での記念すべき最初のホームランとなった。
振り切る打者たちへの憧れ
今年も試合前には、オールスターゲーム恒例の「ホームランダービー」があった。セ・パ両チームから4人ずつ8人の選手が登場したが、森・山川2人の他に心に残ったのは3人。同じパ・リーグでは、オリックス・バファローズの吉田正尚選手。セ・リーグでは、横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智選手、そして東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手。この3人もチームが「将来の4番」としてドラフトで指名した選手たちであり、村上選手にいたってはまだ入団2年目の19歳である。
この5人に共通しているキーワードは「フルスイング」。ファン投票で選ばれながらも残念ながらけがのため出場しなかった福岡ソフトバンクホークス柳田悠岐選手も同じ仲間である。スラッガーのフルスイングは実に気持ちがいい。
竜球団史に残るフルスイング打者
ドラゴンズに目を向けた時、現在1軍で活躍する選手に、フルスイングのスラッガーはいない。では83年になる球団史には誰がいたのだろうか“記憶の旅”をしてみる。
思い当たるバッターは2人、江藤慎一選手と落合博満選手である。
1960年代に2年連続首位打者を取るなど竜の4番として活躍した江藤さんのフルスイングは、当時子どもの目から見ても実に頼もしかった。
1980年代から90年代にかけて同じく4番に座った落合さんは、力まかせとは違う芸術的なフルスイングだった。もちろんバットを振り切る。しかしそこに無駄な力は皆無である。まるでボールが自らの意志でスタンドに飛び込んでいくかのように感じるホームランだった。
「野武士野球」時代には?
ドラゴンズでこの他に、外国人選手ではタイロン・ウッズ選手やナゴヤドーム天井への直撃弾のトニ・ブランコ選手、日本人選手では両リーグ本塁打王の山崎武司選手の名前も浮かんでくるが、やはり江藤・落合の2選手に尽きる。他は見当たらない。そしてそこに、昨今のドラゴンズの“チーム風土”を見ることができる。「野武士野球」と呼ばれた1980年代前半、近藤貞雄監督時代の強力打線には谷沢健一選手や大島康徳選手が中心打者として名を連ねていたが、基本的にはフルスイングのスラッガーを軸にしたチーム作りをしてこなかったのである。
暑さも吹き飛ばすフルスイング
広いナゴヤドームを1997年(平成9年)から本拠地として23年目。投手と守備を軸とした「守り勝つ野球」という方向性に間違いはない。それは納得できる。ただ、豪快な一発はそのゲームはもちろん、チーム全体の空気感を一気に変える力もある。
「守り勝つ野球」に加えて、今こそフルスイングのスラッガーが「4番」に座るドラゴンズも見てみたいと思うファンは多いのではないだろうか。 (2019.08.01)
【CBCテレビ論説室長・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。