竜のドラフト10年史(4)~こんな年もあるのか?空白の時代・2014年
ドラフト会議には夢とドラマがある。1965年(昭和40年)に始まったプロ野球のドラフト会議は、2021年に57回目を迎える。球団創設85周年を迎えた中日ドラゴンズにも、ドラフトによって数多くの選手たちが入団し球団史のページを飾ってきた。2011年1位指名は高橋周平、そして2020年1位指名は高橋宏斗、奇しくも「高橋から高橋へ」となったドラゴンズ最近10年間のドラフト史をシリーズで探訪する。(敬称略)
会場で驚いた1位指名
その瞬間「えっ」と驚いた。ドラゴンズの1位指名選手が読み上げられた瞬間のことだ。
「野村亮介、三菱日立パワーシステムズ、投手」。この日は生まれて初めて、ドラフト会議の会場にいた自分は、思わず声を上げてしまっていたかもしれない。谷繁元信監督、そして落合博満GMは、亜細亜大学の投手・山崎康晃を1位指名すると見られていたからで、実際、複数のスポーツ紙も直前予想していた。野村はドラゴンズの単独指名。山崎は横浜DeNAベイスターズが、4球団競合の有原航平(早稲田大学)の抽選に破れ“外れ1位”で獲得した。事前の予想通りドラゴンズが山崎を1位で入札していたら、単独指名となった。山崎のその後のクローザーとしての活躍はめざましく、その一事に象徴されるような、不思議なドラフトだった。
即戦力を求めたドラフト
ドラゴンズは野村を含めて9人の選手を指名したが、すべて大学生か社会人という、球団史上でもかつてないほど“即戦力”を求めてのドラフトだった。野村は背番号「20」を与えられ、3位の友永翔太(日本通運)は背番号「1」を与えられた。その背番号からみても、球団の期待は高かった。さらに育成枠で4人が指名されて、合計13人が入団したのだが、7年たった2021年シーズン、ドラゴンズのユニホームを着ているのはわずか2人だけである。ひとりひとりの選手は才能を認められ、プロ入り後も努力を続けたはずだが、結果は残念ながら“外れたドラフト”と言わざるを得ない。将来を期待する高校生指名を見送って、即戦力として期待されたメンバーだけに、チームのその後の年齢構成にも影響を及ぼしたことも否定できない。
2014年ドラフト総括
他球団の1位指名では、4球団が競合した有原航平(早稲田大学)は北海道日本ハムファイターズが引き当てた。毎年、ファイターズのドラフト戦略は分かりやすく、そして“ドラフトの神様”も微笑む。讀賣ジャイアンツは岡本和真(智弁学園高校)、埼玉西武ライオンズは高橋光成(前橋育英高校)という高校生を単独指名して獲得した。現在のそれぞれの活躍を目の当たりにするにつけ、スカウトの目利きが見事に結実したと言える。一方で、東京ヤクルトスワローズは育成含めて8人の指名選手すべてが6年以内にユニホームを脱ぐという、ドラゴンズと同じような苦しいドラフトだった。
竜指名選手の現在地は?
今なおドラゴンズのユニホームを着ている2人は、6位の井領雅貴と7位の遠藤一星である。いずれも1軍の舞台で活躍したことがあるが、レギュラーを獲るまでには至っていない。年齢的にも毎シーズンが「待ったなし」の勝負である。5位指名の加藤匠馬は、その強肩から「加藤バズーカ」と名づけられたキャッチャーだが、2021年シーズン途中に千葉ロッテマリーンズにトレードで移籍した。その活躍が伝えられて嬉しい。
野村はユニホームを脱いだ後、打撃投手としてチームに残った。「打てない」「あと1本が出ない」と悩み多きドラゴンズの打撃向上のために、一球一球、魂こもったボールを投げ続けているはずだ。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。