「勝てる捕手」郡司裕也にドラゴンズファンが思い描く開幕スタメンの夢
キャッチャー(捕手)というポジションに期待されること。「打ってほしい」「投手をしっかりリードしてほしい」「盗塁を刺してほしい」。
しかし最も期待されることはこれであろう。「勝ってほしい」。
東京六大学の三冠王が来る!
中日ドラゴンズが、2019年ドラフト4位で指名した慶応義塾大学の郡司裕也(ぐんじゆうや)捕手に、熱い注目が集まっている。周囲のドラゴンズファンの多くがその名を挙げて話題にする。1位指名の石川昂弥選手(東邦高校)に負けないほどの数である。それはドラフト会議後、大学時代を締めくくる試合での彼の活躍からであろう。
東京六大学野球の秋季リーグ戦では、主将として、そして「4番・キャッチャー」としてチームをリードして、自身も三冠王を手にした。打率.394、2本塁打、打点10。「六大学の三冠王」と言えば、ドラゴンズでは杉山翔太選手(退団)が思い浮かぶが、杉山選手の場合、打力を生かすために早稲田大学時代は主に一塁手として活躍していた。郡司選手は捕手としても秋季リーグで盗塁阻止率.667を記録した。「打って守れる三冠王捕手」である。
神宮で魅せたリーダーシップ
ドラゴンズファンが4位指名ながら「郡司裕也」の名前を刻み込まれた試合は、明治神宮野球大会の関西大学との決勝であろう。
2019年11月20日の神宮球場、いつものように「4番・キャッチャー」として先発出場すると、いきなり1回表に先制2ランを放つ。日本一をめざすチームを勢いづかせるには、まさにうってつけの一撃だった。その後は先発投手を好リードして相手チームをゼロに抑える一方、8回の打席ではノーアウト2、3塁から2点タイムリーヒット。ここまでの4点をすべて自分のバットからたたき出した。ゲームは8対0で慶応大学の圧勝。チームは六大学のトップから、さらに日本一の座に上りつめた。そのホームベースには主将の郡司選手がいた。
正捕手なきドラゴンズの日々
ドラゴンズには、2019年シーズンも「正捕手」が登場しなかった。
その強肩から「加藤バズーカ」と命名された加藤匠馬捕手。沖縄・北谷球場でのオープン戦開幕でスタメンマスクをかぶり、いきなりの盗塁阻止をして、いよいよ正捕手誕生かとファンの期待は一気に高まったものの、シーズン途中に2軍落ちを経験。結果は92試合の出場だった。それが、今季のドラゴンズにおける捕手の最多出場試合数だった。
西武ライオンズの名捕手だった伊東勤さん、そしてドラゴンズOBの中村武志さん、この2人のコーチが1軍ベンチにいながらも「正捕手」は育てられなかった。
優勝と「正捕手」の密な関係
83年の球団史をひも解くと、リーグ優勝した時には必ず「正捕手」の名前が浮かぶ。
初優勝の1954年(昭和29年)には野口明さん。その20年後のリーグ優勝では「マサカリ打法」の木俣達彦さん。1982年、豪快なゲーム運びが売り物だった“野武士野球”での優勝時は中尾孝義さん。シーズンMVPにも選ばれた。そして星野仙一監督時代の2度の優勝の際には現コーチの中村武志さんがいた。落合博満監督時代、2004年から8年間の“黄金期”には谷繁元信さんが竜のホームベースを守った。しかし、その谷繁さん引退のタイミングからBクラスの低迷期が続く。まさにドラゴンズが優勝するためには「正捕手」が必要なのである。
飛び出せ!ルーキー捕手
キャッチャーは「グラウンドの監督」と呼ばれるほどに、試合中に重要な役割を持つ。現状のチーム投手力を十分知らない一朝一夕の捕手がいきなり「正捕手」に座るほど、プロは甘くないと見る向きもある。しかし、ドラゴンズは現有戦力で戦ってリーグ5位のチームである。また讀賣ジャイアンツでは、阿部慎之助選手がルーキー時代に、いきなり開幕スタメンでマスクをかぶった過去もある。来季こそ「昇竜復活」へと、ファンとしてはつい夢を描きたくなってしまう。
郡司裕也捕手が、まもなく行われる入団発表で、どんな背番号を背負って、どんな抱負を語ってくれるのか?「勝てる捕手」の登場を待つドラゴンズファンの気持ちは早くも2020年シーズンへ羽ばたいている。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。