竜のドラフト10年史(9)~世界の王が認めた“将来の4番”石川昂弥・2019年
ドラフト会議には夢とドラマがある。1965年(昭和40年)に始まったプロ野球のドラフト会議は、2021年に57回目を迎える。球団創設85周年を迎えた中日ドラゴンズにも、ドラフトによって数多くの選手たちが入団し球団史のページを飾ってきた。2011年1位指名は高橋周平、そして2020年1位指名は高橋宏斗、奇しくも「高橋から高橋へ」となったドラゴンズ最近10年間のドラフト史をシリーズで探訪する。(敬称略)
2年続けて地元の甲子園スター
与田剛監督は2年続けて、その神がかり的な強運を発揮した。ドラゴンズはドラフト会議前日に「1位指名候補は投手」という方針を変更して、地元愛知県・東邦高校のスラッガー石川昂弥(たかや)の1位指名を公表した。前年1位指名の根尾昂に続く指名公表に、“将来の4番打者”獲得への強い決意が表れていた。地元のドラゴンズの宣言、さらに投手に有力候補が揃っていたこともあって、石川指名はドラゴンズだけかと思っていたが、オリックス・バファローズと福岡ソフトバンクホークスが参戦。ドラゴンズは根尾の4球団競合に続いて3球団の抽選にのぞんだが、見事に勝利。ホークスの王貞治球団会長はドラフト後に「どうしても欲しい打者だった」と悔しがった姿が印象的だった。“世界の王”が認めた高校生スラッガーだった。地元球団の指名に石川は破顔一笑だった。
石川昂弥、竜の4番への道
背番号「2」を背負った石川昂弥の打棒は、春季キャンプ地の沖縄で爆発した。2軍でのスタートだったが、読谷村の球場でキャンプ初日から柵越えを連発した。セ・リーグの他球団ほとんどが“和製4番”を擁している中、ドラゴンズもいきなり「石川4番」はないのか、とファンの期待は膨らんだが、開幕時点でそれは実現しなかった。しかし、石川はルーキー年の7月に1軍に昇格すると、三塁手としてデビューした試合で初打席初安打をツーベースで飾った。レフト線にボールを運んだそのバッティングはとても高卒ルーキーと思えない見事なテクニックだった。そのまま1軍で活躍してほしかったが、チーム方針によってそれは実現しなかった。2021年は死球によって左手を骨折する不運にも遭い、1軍での大活躍はまだ実現していない。
2019年ドラフト総括
好投手が揃ったドラフトだった。“令和の怪物”と呼ばれた佐々木朗希投手(大船渡高校)や夏の甲子園で決勝を戦った北陸の雄・奥川恭伸(星稜高校)という超高校級の2人に加えて、東京六大学のエースである森下暢仁(明治大学)の3投手が注目された。佐々木は千葉ロッテマリーンズが、奥川は東京ヤクルトスワローズが、それぞれ抽選の末に指名権を獲得したが、森下は広島東洋カープが単独指名で獲得した。森下は大分県の高校3年生だった当時、柳裕也(現ドラゴンズ)が明治大学へのスカウトに出向いたという逸材。杉下茂、星野仙一、川上憲伸、そして柳という、明治大学からドラゴンズという数々のルートを考えれば、竜党としては少々複雑な思いもあった。ドラゴンズに石川の抽選で敗れ、さらに次も日本ハムに敗れたオリックスが獲得したのが沖縄・興南高校の投手である宮城大弥。2021年シーズンの大活躍を見るにつけ、若い選手の将来には本当に無限の可能性が広がっているのだと思う。
竜指名選手の現在地は?
ドラゴンズは他球団も注目していたノーヒットノーラン左腕・橋本侑樹(大阪商業大学)を2位で、即戦力の呼び声高き投手・岡野祐一郎(東芝)を3位で指名。4位には東京六大学野球の三冠王にして慶応大学キャプテンの郡司裕也を4位で獲得した。5位の岡林勇希(菰野高校)は多くの評論家が「早くスタメンで見たい実戦派」と評価する好打者であり、6位の竹内龍臣(札幌創成高校)まで、バランスの良い指名だった。ただひとりの育成指名である松田亘哲は、国立大学である名古屋大学から初のプロ入りとして話題を呼んだ。
1位指名の石川昂弥には、「将来」と言わず、早々に1軍での「4番」に座ってほしい。現在の4番打者であるダヤン・ビシエドが3番に座って、高橋周平が5番として輝きを取り戻す時、「貧打竜」というありがたくない呼び名は、ドラゴンズから消え去るに違いない。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。