大島康徳さん「自分の人生を命をしっかり生ききる」松坂大輔投手「自分への期待がなくなったら進めない!」野球を通した生き様を振り返る
「とある妄想しがちなファンのドラゴンズ見聞録」
CBCテレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜日午後12時54分から東海エリアで生放送)を見たコラム
今週のサンデードラゴンズは、逝去した大島康徳さんを偲んで野球人生を振り返る特集と松坂大輔投手の引退宣言を受けてドラゴンズでの活躍と遺したものの特集です。それでは内容を振り返っていきます。
『自分の人生を命をしっかり生ききる』大島康徳さんの野球人生
先月30日に大島康徳さんが大腸癌のため70歳でこの世を去った。ご本人のブログには妻・奈保美さんにより、これまでの人生に対しての思いを込めた言葉が投稿されました。
「幸せな人生だった 命には 必ず終わりがある 自分にもいつか その時は訪れる その時が 俺の寿命 それが 俺に与えられた運命 病気に負けたんじゃない 俺の寿命を 生ききったということだ その時が来るまで 俺はいつも通りに 普通に生きて 自分の人生を、命を しっかり生ききるよ(引用:大島康徳さんのブログより)」
こう綴られる実直な言葉通りに、ガンと闘いながらもサンデードラゴンズ出演時には野球を愛する姿勢はそのままに楽しむように熱く語っていた。
1968年に投手としてドラフト3位で入団。すぐさま打者に転向して、入団3年目には一軍出場。74年には内外野を兼任し優勝に貢献する活躍を見せた。76年にはシーズン代打本塁打の日本記録を樹立し、翌年はレギュラーに定着し打率.333、27本塁打と好成績を残した。「一発長打の大島くん」と愛された。82年のリーグ優勝にも貢献し、翌年には36本塁打で初の本塁打王に輝き86年にはドラゴンズ球団史上初の300本塁打も達成しドラゴンズの歴史に名を刻んだ。その後ファイターズに移籍してから当時の史上最年長39歳10ヶ月での2000本安打を達成。生涯成績は2638試合に出場し、2204安打、382本塁打、打率.272華々しい成績を残しファイターズで監督も務めた。
大島康徳さんを偲ぶドラゴンズOBのコメント
谷繁元信さんのコメント
「とにかくとにかく野球に対して熱く明るい方でした。(2000本安打を打つ前と、兼任監督就任時には)『頑張れ』と声をかけていただいていた。」
大島さんと共に82年のリーグ優勝に貢献した小松辰雄さんのコメント
「70歳ですか…早いですね。プロに入って一番びっくりしたのが大島さんの体が大きいこと。可愛がってくれましたからね。本当に寂しいです。」
4年間一緒にプレーして大島さんの背番号5を継承した仁村徹二軍監督のコメント
「いつも明るく笑顔で『どうだ?』と元気よく言ってくれたので本当に残念です。僕が入団したときは神様みたいな存在ですからね。厳しいところもあったけど、笑顔が忘れられないですね。(背番号5を背負って)荷が重かったですよ、最初の方は5番を背負ってね。なんとか5番のイメージをね5番と言えば仁村だって覚えてもらえるようには頑張りましたね、その思い出がありますね。」
大島さんと共に82年のリーグ優勝に貢献した牛島和彦さんのコメント
「今年の5月にバンテリンドームで話もしたしその時普通に喋れてましたから『えっ?』という感じでしたね。僕が(マリーンズに)トレードを通告された日に、『どうですかね?』という話をしたら、大島さんが『25歳だったら俺だったら行く』という話をしてくれて僕の背中を押してくれる言葉ではありました。次の年に大島さんが(ファイターズに)トレードになって会ったときに『お前にああいうこと言ったから俺もトレードで来たよ』とか言いながらバッターボックスで(対戦時)僕にウインクしてきたりとか、パ・リーグ行ってからは距離が縮まっていろいろ話ができました。」
OBのみなさんからも上下関係なく慕われていた素敵なキャラクターと誠実な人柄で親しまれる大島さん。解説などでもその一端は垣間見られるが、改めてその姿勢を通して大好きな野球について伝えたいという信念を感じました。
『自分への期待がなくなったら進めない!』松坂大輔の野球人生
松坂投手はドラゴンズにやってきてこう言った。
「自分が、一番自分に対して期待をしてるのでその気持ちがなくなったら進めない。」
松坂投手は98年に夏の甲子園決勝でノーヒットノーランを達成し春・夏を連覇した。99年のルーキーイヤーにイチローとの初対決でも3三振を奪い『今日で自信から確信に変わった』という名言も生まれた。150km台のストレート、キレのある変化球、勝負どころでのコントロールと全てを兼ね備えていた松坂は入団年の新人賞、最多勝を皮切りにベストナイン、沢村賞など数々の栄誉を日本球界で手にした。その後メジャーリーグに挑戦し世界一の称号も手にした。
その後2015年には日本球界に復帰するが相次ぐ故障に見舞われ3年間で1軍登板は1試合にとどまり、事実上の戦力外通告を受けた。そんな松坂にかつて西武で見ていた森繁和元監督は『やり尽くすまでやってみろ!』と機会を与えた。それに松坂は『やりきった、悔いのない野球人生だったとは思えないので、自分を信じて進んでいきたいと思います!』と意気込みそのままに6勝4敗でカムバック賞を獲得し見事な復活劇を魅せた。
オフには何勝を目標とするかのインタビューにこう応えた。
「昔はそりゃあ最多勝って答えていればよかったけど、今は泥だらけになってもボロボロになっても少しずつでも進めるなら進んでいく気持ちでいます。」
また、チーム全体や流れを変えてほしいと松坂投手に期待がかかるがどう感じているかについてはこう話す。
「今の僕にできることは限られているとは思うんですけど、その中でこれからの選手たちに何か伝えられるものが出てきたらいいなと思います。」
そんな責任感を背負って、マウンド以外でもドラゴンズにさまざまなものを残してくれた松坂投手。2019年は不運な怪我もあり成績を残せず古巣への移籍を決意し最後の挨拶ではこう締めくくった。
「短い期間でしたが、球団には感謝の思いしかありません。一生懸命応援してくれたファンの皆様にも感謝しています。このチームメイトとももっと野球をやっていたかった気持ちは強かった。2年間本当にありがとうございました。」
一人のヒーローの引退はたくさんのものを遺した。
松坂投手引退について森繁和さんや若手投手陣が感じたこと
谷繁元信さんは対戦した時の熱い気持ちを振り返ってこう語る。
「近年の松坂の状況を考えると(引退は)しょうがないのかなと思います。松坂投手と対戦した2004年の日本シリーズではなんとか打ってやろうと思って(タイムリーツーベースを放って)やりました笑(まっすぐよりも)僕はスライダーが持ち味のピッチャーだと思ったので絞って狙い撃ちしました。」
森繁和さんはこう振り返る。
「一勝した時は感激だったね。どんなピッチングだろうと何も構わんと新人のときのようにがむしゃらに投げているこんなことを思い出した。引退を決めて今後をゆっくり考えてそれからもう一度プロ野球界に戻ってきてくれるでしょう。期待していますよ。」
松坂投手の野球に対する姿勢を信じられたからこその感激があり、彼が生み出した空気は説明のつかない惹きつけられる魅力があった。スタンドでファンが不思議な雰囲気に圧倒されたように、若手選手にも大きな影響を与えた。
清水達也投手のコメント
「30代後半になっても自分たちよりもストイックだなと感じました。」
笠原祥太郎投手のコメント
「柳だったり、(小笠原)慎之介は松坂さんと色々話したりして、僕もアドバイスもらいましたけど寂しいなという気持ちはあります。」
梅津晃大投手のコメント
「野球は楽しいということを思って、本当に野球が好きで練習して試合で投げたくてリハビリもしててっていうのがそれが原動力になっていたと思うので、自分もしっかり野球を楽しんで行けたらなと思います。」
若手投手陣にもマウンド内外での松坂投手の一挙手一投足が、それぞれの気持ちを引き締める契機になっている。今回特集された松坂投手の歴史に名を残す成績もさることながらドラゴンズ時代にも輝いていた野球を愛する姿勢に胸を打たれた。
数々のスター選手の活躍を振り返っても、一人一人の人間が歩んだ歴史に胸が熱くなる。だからこそ大島康徳さんが生涯貫いたどんなことにも真摯に取り組みこころから野球や人生を楽しんで生きていたことに、深い尊敬と感謝をこめてご冥福をお祈りいたします。
澤村桃