歌舞伎界の"夫婦道"は続く

北辻利寿

2017年9月21日


画像:足成

秋の彼岸を迎えた。
ようやく秋の気配が感じられるようになった先日、今年6月に亡くなった元キャスター小林麻央さんの納骨がしめやかに行われたとの報が届いた。
今年の夏から秋にかけての悲しいニュースのひとつに、乳がんと闘ってきた麻央さんの死がある。
歌舞伎役者・市川海老蔵さんの妻でもある麻央さんの悲報は、芸能ニュースに留まらず、大きく報じられた。
 
その背景には、夫・海老蔵さんによる「がんの公表」と麻央さん本人による「闘病ブログ」の存在があったと思う。
去年6月、海老蔵さんは記者会見をして、妻が乳がんと診断されたことを発表、「比較的深刻」と医師から言われていると話した。
これを受けて3か月後に麻央さんはブログを始め、がんと闘う自らの日々を公開していった。
その中では症状が「ステージ4」と言われる重大な局面であることも明かし、その前向きな生き方に対し、イギリスのBBC放送は去年の「100人の女性」のひとりに麻央さんを選んだほど、大きな社会的反響を呼んだ。
ブログを読む多くの人たちにとっては、一緒になって麻央さんと闘っている思いだったように思う。
それだけに、6月23日に海老蔵さんが「人生で一番泣いた日です」と自らのブログを更新した時、何が起きたかを察知した人たちは多かった。

妻の死を受けて、海老蔵さんは記者会見に臨んだ。
その会見をテレビで見ながら、ちょうど1年前に、妻のがんを公表した時の記者会見を思い出した。
あの時も、すっかり大人になった歌舞伎役者・市川海老蔵がいた。
38歳の男性をつかまえて「大人になった」とは失礼な言い方ではあるが、決して大人とは言えない時期があったからだ。
二人が結婚した7年前に2010年、海老蔵さんは東京都内で飲酒がらみのトラブルに巻き込まれケガをする。
歌舞伎の舞台も休むほどの事態だった。
多くの歌舞伎ファンもそうでない人たちも、その所作にがっかりしたはずだ。
2年後には中村勘三郎さん、翌年には海老蔵さんの父・市川団十郎さん、さらに坂東三津五郎さんと歌舞伎界から多くの星が消えていった。

次世代を背負う海老蔵さんには厳しい目も向けられたが、それを支えたのが麻央さんだった。
「気丈にも」という言葉が当てはまるほど、梨園の夫をかばい、時に夫の代わりに詫びた。そんな妻によって、夫も変わったのだと思ったのが、麻央さんの病を公表した記者会見だった。
悲しみを抑えながら、それでも丁寧に記者の質問に答えていく姿には胸を打たれた。
心から奇跡を願った。

そして1年後のさらなる悲しみの記者会見。
昼夜にある舞台の合い間で行われた記者会見で、夫は涙を流したら逝った妻のことを語った。
会見で語られたことは、実に詳細かつ本音の部分が多かった。
「ずっとしゃべれずにいたのに息を引き取る瞬間、彼女が『愛してる』とひと言を言って」という言葉、しかしそれ以上に印象に残ったのは「どんな奥さんだったか」という質問への答だった・・・「僕を変えた奥さんなんじゃないか」。
このひと言に、夫婦が歩んできた7年間が凝縮されていたように思えた。

亡き妻の存在について尋ねられた夫はこう答えた・・・
「私のどんな部分もどこまでも愛してくれていた。彼女には私が役者として成長していく過程をずっと見守っていってもらいたかった存在です」
そこにはすっかり大人に成長した「市川海老蔵」という男性、そして歌舞伎役者の姿があった。

秋が深まりゆく中、これからも海老蔵さんの歌舞伎舞台は休みなく続く。
夫のさらなる成長を麻央さんは天国から見ることになるのだろう。
でも、夫婦でがんと闘った日々は、間違いなくひとりの素晴らしい歌舞伎役者を誕生させた。
それがこの夫婦の姿でもある。麻央さん、どうかゆっくりお休み下さい。                

【東西南北論説風(10)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】