グランパスに負けるな! 名古屋市交通局とドラゴンズの新たなコラボに期待
黄色い地下鉄に遭遇した。名古屋市交通局は100周年を記念して、地下鉄開業当時に走っていた、車体が全面黄色の「黄電」を復活させた。2022年8月から東山線と名城線、それぞれ1編成だけ走らせている。偶然に目の前のホームに滑り込んだ黄色い車両に乗ると、車内には名古屋市営交通の歴史が、主だった年ごとにポスターで掲示されている。電車に揺られながら何気なくそれを見ていると、中日ドラゴンズにとっての大切な年との意外なマッチングに気づいた。
初優勝と地下鉄の建設(1954年)
1954年(昭和29年)は「地下鉄の名古屋から栄間の建設開始」とある。3年後に「黄電」が走る地下鉄の記念すべき第一歩である。その年、ドラゴンズは球団初のリーグ優勝、そして日本一に輝いた。 天知俊一監督の下、エース杉下茂投手が快投を見せた。今も球団史に輝く記念すべき最初の栄冠だった。
1974年(昭和49年)もある。20年後のこのシーズンは、与那嶺要監督に率いられた星野仙一投手や髙木守道選手らの活躍で、讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止してのリーグ優勝。名古屋の街は大いに盛り上がった。
応援歌『燃えよドラゴンズ!』が生まれたのもこの年である。そんな年に、名古屋市では半世紀にわたって市民に親しまれてきた「市電が廃止」されたのだった。
環状運転と落合ドラゴンズ(2004年)
さらに地下鉄車内のポスター掲示を目で追う。1982年(昭和57年)がある。ポスターには「基幹バスが運行開始」とある。道路の真ん中に設けられた専用レーンを路線バスが走るユニークな交通システム。
この年は、近藤貞雄監督が率いる“野武士野球”でドラゴンズは3度目のリーグ優勝を果たした。1番の田尾安志選手から始まる打線は、ケン・モッカ、谷沢健一、大島康徳の各選手へと続き、投げては都裕次郎、小松辰雄、リリーフ牛島和彦らの各投手が活躍、“逆転に次ぐ逆転”の野球は本当に面白かった。
1988年(昭和63年)星野仙一監督の優勝年は交通局の出来事はなかったが、翌1989年は「金山総合駅の開始」「桜通線の開通」と紹介あり。そして2004年(平成16年)日本の地下鉄で唯一となる「環状運転が名城線でスタート」。ドラゴンズは落合博満監督の最初のシーズンで、見事に優勝し8年間にわたる黄金期の幕開けとなる年だった。
グランパスの見事なコラボ
ドラゴンズ優勝の歴史と名古屋市交通局の歩み。何かコラボレーションはできなかったのだろうか。というのも、クラブ30周年を迎えたサッカーJリーグの名古屋グランパスが、交通局と見事なスクラムを組んでいるからである。
一緒に特製のポロシャツを作って、2022年8月から10月までグランパスの試合開催日は、市バスと地下鉄の職員は、この紺色のポロシャツを着て業務についているのだ。実際に市バス運転手さんのポロシャツ姿を見かけた。
常々、バンテリンドームで野球が開催される日、せめて市営地下鉄「ナゴヤドーム前矢田」駅など主な駅の職員だけはドラゴンズのユニホームを着ればいいのに、と思ってきただけに「先を越された!」と思う他はない。お見事なコラボレーションである。
竜のアピールも新時代へ!
名古屋市交通局とドラゴンズ、実は2022年シーズンから地下鉄「ナゴヤドーム前矢田」駅が近づくと、車内に立浪和義監督の声が流れる案内放送を始めた。
「中日ドラゴンズの立浪です。バンテリンドームナゴヤはこちらです」
球場に向かうファンにとっては嬉しいサービスである。せっかく初めの一歩は踏み出したのだから、次へ次へと歩みを進めてほしい。楽しいアイデアは思いついた時すぐに動くに限る。それはまさに監督によるベンチ采配のようにスピーディーに。
ようやく若い選手が躍動し始めたドラゴンズ、球場のスタンドだけでなく名古屋の街をあげて、いろいろな新しい盛り上がりを見せてほしい。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】