誘われても断ることができる先輩とつき合うこと。プロ野球に関わって35年、平沼定晴さんの根尾への金言
「ボクらドラゴンズは、根尾君という宝物をいただきましたからね。チームにとって、プレッシャーでもあります。」
高卒一年目から中日で活躍後、世紀の4対1トレードで千葉ロッテへ。あの清原への死球、バット投げられ事件の因縁と和解でも印象深い平沼定晴さん。
引退後はドラゴンズの打撃投手を務め、現在は用具担当と、長年チームの屋台骨を支える彼は、具体的な担当の枠にとどまらず信頼厚く、さりげないタイミングで、選手たちからの相談にのっています。プロ野球に関わって35年の年輪。
あくまで、「ボクなんかが言うのは、おこがましいのですが、もし聞かれたら、支えてあげたいですね。」と熱く語ってくれます。
「根尾君は、一年目から出すべき。長年、すべてのルーキーと入寮から最初に接してきて、持っている勢いのままプロの壁にぶつけてあげた方がいい。プロの体力うんぬんを言っているうちに、その子が持つ勢いが下がってしまう気がして。はっきり言って、どんな育成カリキュラムを組んで、抑え気味にさせても、ケガをする子はする。そこからが勝負だからね。」
「そのために、まず大切なのは挨拶ですね。毎年、入寮後の説明会で、新人の目を見ます。目を見ると性格が分かる。まっすぐ見てくれているのか、挨拶をしたフリをしているのか。昔より今の子のほうが、分かりやすいんじゃないかな。チクリっと言ってやると反応で分かるし。彼は使い分けているなと。例えば、京田は、真っ直ぐ真面目。周平は、最初はとぼけた感じだったけど、人見知りだったね。」
さらに平沼定さんは、入団前後のフィーバーよりも、その先を見据えます。
「とにかく、新人と呼ばれる一年間が大切。ユニフォームを着ているグラウンド上では、どんどん生意気になってほしい。他チームの先輩への挨拶だってシーズン初戦だけでいい。敵なんだから。」
そのプロでの姿勢を学ぶために先輩の存在が大きいそうです。なので、食事などに誘われても、断ることができる先輩とつき合うこと。許してくれる先輩とつき合うこと。
様々な恩人に助けられた35年
平沼定さんは、ドラゴンズ入団直後から、高木守道さんや大島康徳さん、小松辰雄さんらに声を掛けてもらい、あのトレードの際には、まさに自身が渦中にあった牛島和彦さんの自宅に招かれ、「俺たちが行かないと、両チームに迷惑を掛けてしまうもんな。一緒にやろう」と励まされたそうです。
ドラゴンズ時代からの先輩は離れ離れになっても、大きな励みになりました。ロッテへ移籍したばかりで、まだ野球道具の提供を受けられなかった頃、東京ドームへ遠征に行くと、自分のビジターロッカーにどっさりと用具やジャージが。
日本ハムへ移籍していた大島康徳さんからの内緒の差し入れでした。
先輩選手だけでなく、この道35年のサダさんは、実に10人もの監督に仕えています。
「プロに入って最初に出会った権藤博さんのインパクトは凄かったですね。投手コーチなのに監督みたい。しばらく最初は、顔を合わせるだけで体調が悪くなっちゃう。でも、育つためのやりやすさを作ってくださった。
山田久志さんは、投手を見る眼が凄い。ウチのレジェンド投手は、ほとんど山田さん経由で大成してますね。
そして、星野仙一さん。亡くなってもう一年になろうとしていますね。星野さんの引退試合で、ナゴヤ球場の風呂場でいただいたスパイク。あれは、嬉しかった。次の試合すぐに履いてマウンド行って、コーチには怒られたけど、大切に履くのが使命だと思ってね。
そして星野さんは、ボクなんかを中日に戻してくださった。引退後、打撃投手として呼んでくれた。でもその時は、『お前、ほんとにその性格で裏方できるのか』、なんて笑いながら。」
平沼定さんにとって恩人の話は尽きません。
ならばそれを近未来のドラゴンズへ。
「裏方というより、一人のドラファンとして、福ちゃん(福田永将選手)が好きだね。福田は選手会長としても大変だけど、もっと悪者になってほしい。たとえ自分が打てなくても、エラーしても、投手に対して、よっしゃ行くぞと、もっと表に出さないと。そう言える存在なのだから。」
そして、愛すべき高橋周平選手。「今年は、よくぞ夏場を乗り越えた。しっかり体調と打撃の調子の管理ができていた。でも、言ってやったのよ。たまには外出もしなよ。根性ねえなあと(笑)。来年は、根尾君も連れて、話をしてやって。」
時代、風潮は変われども、野球界の縦の繋がりは欠かせません。だからこそ、平沼定さんの経験が、近未来のドラゴンズへ。
「本気でつき合って、かつ、断ることのできる先輩を見つけてほしい。
でもボクは、一度も断れなかったですけど。」そんなサダさんです。