ドラゴンズ温故知新!09「左翼手」編~今季もレフトを守るのは「右の強打者」?
新しい年2020年、中日ドラゴンズは球団創設84年目を迎えた。伝統あるその球団史は数多のスター選手に彩られ、熱き戦いの記録と記憶をファンの心に刻みつけてきた。筆者が独断で選んだ歴代ベストナインと現役選手を比較しながら、7年続くBクラスからの脱出に向けて、新たなシーズンへの期待と応援を届ける連載企画である。
第9回のテーマは「左翼手」。(敬称略)
歴代ベストナインは「江藤慎一」
ドラゴンズの背番号「8」江藤慎一について語ろう。「スラッガー」という言葉で真っ先に名前が浮かぶ右打ちの強打者。ドラゴンズにはキャッチャーとして1959年(昭和34年)に入団、内野ではファーストを守ったり、外野ではレフトを守ったりした。しかし、「4番レフト江藤」という本拠地・中日球場(現・ナゴヤ球場)での場内アナウンスが最も心地よかった。江藤は2年連続で首位打者のタイトルを獲った。東京オリンピックが開催された1964年、そして翌1965年である。どちらの年もホームラン部門と打点部門では讀賣ジャイアンツの王貞治がトップを走っており、もし江藤が首位打者を取らなければ、王が三冠王となった可能性が高い。巨人に意地を見せたというだけで、当時のドラゴンズファンは拍手喝采だった。江藤は全国の野球ファンにも知られた存在で、オールスターゲームでもMVPを2回獲得している。豪快なキャラクターのため、時の水原茂監督と衝突して在籍11年でドラゴンズを離れたが、歴代ベストナインの「左翼手」の座は江藤慎一に贈りたい。
竜のレフトは強打の右打者
江藤慎一に代表されるように、球団史をひも解くと、ドラゴンズの「左翼手」のイメージは「右の強打者」と言えるかもしれない。1974年(昭和49年)の20年ぶりリーグ優勝の時、レフトを守っていたのは、その力強さから「ポパイ」と呼ばれた井上弘昭。実に勝負強かった印象がある。1982年(昭和57年)の優勝時にレフトだったのは大島康徳。近藤貞雄監督が率いた“野武士野球”の一翼を担った。
関川浩一や井上一樹ら左バッターの時代もあったが、最近では和田一浩だ。岐阜県出身の和田は西武ライオンズの主砲だったが、FA宣言をして2009年(平成21年)から竜の一員となった。翌2010年には自己最高の37ホームランを打ち、打率.339、打点93で、その年ドラゴンズ内での三冠王、優勝の原動力となりシーズンMVPにも選ばれた。
意地を見せた福田永将
江藤、井上、大島そして和田と続いた系譜からすれば、2019年シーズン後半での福田永将の「左翼手」での活躍は、竜の運命めいたものがある。福田は前のシーズンにサードを守って自身初の規定打席に達した。しかし、高橋周平がサードに定着したため、シーズン最初の頃は控えに回ることが多かった。調子を崩して二軍落ちも経験した。選手会長としては本当に悔しかったであろう。しかしここで負けなかった。高橋が負傷した後のサードに入って打撃が上向くと、高橋の復帰後もスタメンを外れることなくレフトの守備についた。9月は3番打者として、打率.330、3本塁打、打点21と活躍。特に得点圏打率は4割を超えて、これまでどちらかと言えば、つい力み過ぎてチャンスに打てなかった過去を払拭した。念願の月間MVPにも初めて選ばれた。2019年は、ここという時に打ってくれた頼もしい「左翼手」だった。
2020年シーズン展望
福田永将の活躍があった2019年シーズンだったが、2020年のドラゴンズ、レフトを誰が守るのかは大きな注目だ。「ショート1本」を封印して秋季キャンプからは外野の練習も始めた2年目の根尾昂。その動向によって竜の外野の図式は大きく変わる。そしてひょっとしたら大型ルーキーである石川昂弥も出場機会を求めて、「左翼手」争いに参入するかもしれない。石川昂弥の場合は「強打の右打者」という竜の歴史の潮流にも合致する。けがから復帰する左右打ちのソイロ・アルモンテも加わり、ファンとしてはとても楽しみなポジション争いとなる。
【CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が“ファン目線”で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。