名古屋喫茶の定番!「モーニングのルーツはこうだったんじゃないか?」劇場~大竹敏之の「シン・名古屋めし」
< 後日譚 >
さて、2024年1月に下記の通りの記事を公開したのですが、その後番組の調査によってモーニングの発祥に新事実が…! しかも、ディテールが非常に具体的で、かなり信頼に足る情報の模様。放送は2024年2月21日の予定。CBC『デララバ』によって、愛知の、いや日本のモーニングの歴史が塗り替えられる…かも(!?)
「モーニング」は好きな名古屋めしランキングで7位!
名古屋・愛知・東海の喫茶店の代名詞ともいうべきモーニングサービス。午前中の時間帯にコーヒーなどのドリンクを注文すると、トーストやゆで卵が無料で付いてくるお得なサービスです。
番組独自のアンケート「最新!東海3県の100人に聞いた!好きな“名古屋めし”ランキング」でも「モーニング」は7位にランクイン。地元の人に親しまれていることが分かります。加えて近年はコメダ珈琲店の全国展開によって、広く全国にも知られるようになっています。
さて、このモーニング。一体いつ、どこで、誰によって、どんなふうにして生まれたのでしょうか? 諸説を元に「こうだったんじゃないかな~」と思われるストーリーを再現してみます。
それは繊維の街・一宮の町工場近くの喫茶店から始まった(!?)
時は昭和30年頃。愛知県一宮市は空前の好景気にわいていました。地場産業の繊維業が活況で、町工場からはガチャンガチャン!という機織り機の音が絶えず響いていました。全国各地からの商談相手は引きも切らず。出迎えるデララバ繊維工業の太田社長は出迎えるやこう切り出します。
「会社の応接室じゃあ機械の音がやっかましいで、そこの喫茶店で話そみゃあ」
「いらっしゃい」と喫茶しびしの石井マスター。「社長、いっつもお客さん連れて来てくれて悪いね~。これ、コーヒーと一緒につまんでちょ~でゃあ」。そういってコーヒーと一緒にテーブルの上に置いたのはピーナッツとゆで卵でした。「お、気が利くねぇ。朝からなんも食べとらんかったでありがてゃあわ。遠慮のぉよばれるでね」
一宮とかかわりの深い名古屋の繊維街にモーニングが伝播(?)
太田社長が商品を卸しに行くのは名古屋の長者町繊維街。東京・日本橋、大阪・船場と並ぶ日本三大繊維問屋街のひとつです。納品を済ませて近くの喫茶店でちょっと一服。ところが…。
「ん?名古屋の喫茶店はコーヒー頼んだらコーヒーしか出て来んのきゃあ?一宮じゃあモーニングサービスが当たり前。パンとゆで卵はもちろん、最近は茶わん蒸しやサラダをつけてくれるとこもあるのに、けち臭ぁなぁ!」
それを聞いた新栄珈琲館のママはめらめらと対抗心を燃やします。
「一宮に負けとれんがね! それに最近は毎日のように近所に喫茶店ができとるで、新しいお店にも負けとれんがね!! うちも明日からモーニング始めるでね!」
世は折しも喫茶店の開業ラッシュの戦国時代。特に名古屋、愛知は江戸の頃からお茶の文化が根づいていたため、一服の場である喫茶店がとりわけ必要とされました。そんな過当競争の中で、モーニングは格好の差別化策として、名古屋でも多くの店が競い合うように採用したのです…。
誕生・普及を裏づける資料の数々
以上はあくまでフィクションですが、裏づけとなる記録はいくつかあります。一宮では昭和31年に市内の「三楽」喫茶室がモーニングを提供していたことが「一宮モーニング探検隊」の調査によって確認されています(ただし、ここが元祖ではなく、既に他の店がモーニングを採用していたためそれにならって始めたといいます)。また名古屋のモーニングについては、昭和40年3月の名古屋タイムズに「喫茶店のモーニングサービスは客の人気を呼んでいるが、名古屋市内で“一日一店開店”という喫茶店の乱立からサービスが過剰になり乱戦の様相をみせている」と報じる記事が見つかります。
つまり、一宮では昭和31年の時点で既にモーニングが誕生していて、名古屋では昭和40年には一般化していたことが分かります。
ちなみに、一宮とほぼ同時期に、同じ愛知県内の豊橋市でもモーニングが生まれたといわれます。しかし、距離の近さや産業のかかわりの深さから、名古屋のモーニングは一宮から伝わった、と考えた方が自然です。
このような資料から、先のストーリーもあながち的外れではないのでは…? 皆さんも「モーニング誕生の物語」を想像しながら、東海地方ならではのコスパ抜群のおもてなしサービスを楽しんでみてはいかがでしょう。
※記事内容は配信時点での情報となります。
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