戦争で両親・兄弟を失い…戦災孤児の75年間 今何を伝え残すのか
1945年3月の名古屋大空襲で母親を失い弟と一緒に戦災孤児となった後藤幸夫さん(85)。
駅の待合室でドーナツを、進駐軍にはガムをもらうなど生きるために懸命な日々でした。
当時は名古屋駅や駅西側の神社で寝泊まりをしていましたが、75年目の今年、その神社に行ってみるとリニア工事による移転でほとんど取り壊されていたのです。
歳月の流れで当時の物は次々に姿を消しています。
海の向こう、中国で戦災孤児となった橋本克巳さん(84)。
太平洋戦争が始まった1941年、「満蒙(まんもう)開拓団」として家族で海を渡り、過酷な日々を送りました。
冬は零下30~40度、ソ連の侵攻におびえながらの暮らし。
終戦後に日本を目指し、200キロもの道のりを家族で歩いて脱出を図ります。しかしようやく着いた街で自分以外の家族全員がチフスで命を落とし、一人ぼっちで日本へ。
それから75年。懸命に生き抜いてきた橋本さんは語り部としても活動。
「戦争の記憶は決して捨て去ることが出来ない」と振り返ります。