国産「長靴」は魚河岸で生まれた!“滑りにくい靴底”のヒントをくれた驚きの生き物

国産「長靴」は魚河岸で生まれた!“滑りにくい靴底”のヒントをくれた驚きの生き物
「黒長靴「白底付大長」」提供:有限会社 伊藤ウロコ

「長靴」のルーツは、19世紀に英国で広まったウェリントンブーツと伝えられる。ナポレオン戦争の英雄ウェリントン公爵が、乗馬の時に足の脛が傷つくことを防ぐため、膝の近くまである長い乗馬靴を注文した。そんな由来を持つ「長靴」は皮製からゴム製へと米国などで進化していく。

「当時の伊藤ゴム」提供:有限会社 伊藤ウロコ

日本でそんな「長靴」に目をつけた人が、東京日本橋の魚河岸にいた。伊藤千代次さん。初代の政次さんは、魚市場での作業向けに「小田原下駄」という履物を扱っていた。二代目の千代次さんも店を継ぐと、水たまりでも歩きやすいようにと下駄の歯を高くした「板割り草履」を発明して、市場での人気商品になっていた。しかし、海外から「ゴム」という素材が日本に入ってくると、千代次さんは決意した。

「木を使った下駄の時代は終わった。これからはゴムの履物だ」

下駄商店をあっさりと閉めてしまい、1910年(明治43年)に「伊藤ゴム」を創業した。米国の百貨店で、ゴムを使った女性用の長靴レインブーツが発売されたことを耳にした千代次さんは、早速カタログを手に入れて、魚市場での作業に適した日本製の「長靴」を作ろうと決意する。

「築地市場時代の店舗」提供:有限会社 伊藤ウロコ

真っ先に取り組んだテーマは「滑りにくい靴底」だった。床が水で濡れている市場では大切なことだった。ヒントになったのは蛸(たこ)の吸盤だった。吸いついたら離れない、いかにも魚河岸らしい着想だった。しかし天然ゴムをそのまま使ったのでは、どうしても弱い。顕微鏡まで持ち出して、靴底に使うゴムの成分を徹底的に研究して、ゴムの配合の量を何度も調整した。さらにタコと同じ「丸い形」とピラミッド型の「三角の形」2種類の吸盤を組み合わせるなど、滑りにくい靴底を追求した。そして大正時代に入った頃に、めざす長靴が完成し、「白底付大長」と名づけられた。魚市場生まれの長靴第1号だった。「伊藤ゴム」は1958年(昭和33年)に店の屋号を「伊藤ウロコ」に変えた。「ウロコ」は、魚の鱗(うろこ)ではなく、商売繁盛の神様である白蛇、そして海難事故から漁師を守る龍神、この2つの鱗から命名した。

「柔らかさのチェック」提供:有限会社 伊藤ウロコ

長靴の開発は続いた。「滑りにくさ」に加えて「丈夫さ」そして「履きやすさ」が必要だった。なぜなら、伊藤ウロコの「長靴」は、雨の日に街で履くレインブーツではなく、魚市場で作業するための履物。「丈夫さ」では、踵(かかと)部分を3センチに厚くして、ゴムもしっかり詰め込んだ。釘など踏んでも安全、歩いても疲れにくい、そして朝の早い市場で冬でも底冷えを防ぐ効果があった。「履きやすさ」では、足首を自由に動かしやすいようにゴムの柔らかさを調整した。市場内を歩き回ると共に、時にフォークリフトなど作業車も操作する。足首が自由自在に動くことは重要だった。さらに靴底の開発も続いた。魚市場の床は水で濡れているだけではなく、魚から出る脂もあった。ゴム素材の配合を工夫することで、脂でも滑りにくい新たな長靴も開発した。こうして伊藤ウロコの「長靴」は魚市場で欠かせない履物として成長していった。

「豊洲市場での店舗」提供:有限会社 伊藤ウロコ

「長靴」は、その他の多くのゴム製品メーカーでも製造されて、人々の生活に入り込んでいった。丈夫で履きやすさをめざした伊藤ウロコの作業用「長靴」も、市場だけにとどまらず、魚釣り、園芸、そしてバードウォッチングなど、幅広い用途で使われるようになった。足音が出ない靴底は、森の中で鳥を観察するためにも最適だった。また、市場で使う作業用の長靴は海外でも珍しいことから、観光で魚河岸を訪れる海外からの客にも人気の商品になった。

英国で乗馬用の靴として生まれた「長靴」は、日本で新たな魅力を持った履物として生まれ変わった。「長靴はじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“足元しっかりと”刻まれている。
          
【東西南北論説風(349)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】

※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。

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