幼馴染ら証言!中日『岩瀬伝説』の破壊力…中学でほぼ全員三振の完全試合、無いサッカー部で優勝
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幼馴染ら証言!中日『岩瀬伝説』の破壊力…中学でほぼ全員三振の完全試合、無いサッカー部で優勝

2018.10.03

 中日ドラゴンズ一筋20年…前人未到のプロ野球記録『通算1000試合登板』を達成し、2日に現役引退を表明した、岩瀬仁紀投手(43)。

 今回は幼馴染から社会人野球時代のコーチまで、岩瀬投手を知る方々を徹底取材!彼に“してやられた”阪神ファン代表のココリコ・遠藤章造さん、ヤクルトファン代表の、ずん・飯尾和樹さんとともに、どこよりも詳しく超マニアックな「レジェンド・岩瀬伝説」をご紹介していきます。

スポーツLIVE High FIVE!!スタジオ収録風景
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いじられキャラの仁紀ちゃん

CBCテレビ・若狭敬一アナ:
「まず、通算登板1001試合、通算セーブ407S、連続シーズン50試合登板15年といったプロ野球記録や、最多セーブ投手5回、最優秀救援投手3回などのタイトル。やっぱりすごいですよね」

ココリコ・遠藤さん:
「社会人上がりでの1001試合っていうのは本当にすごいと思います」

ずん・飯尾さん:
「塗り替えることは、できないでしょうねぇ」

若狭アナ:
「皆さんプロ入り後の岩瀬投手はご存知でしょうが、その“前”のお話を調べて参りました。

 岩瀬投手は、1974年、愛知県西尾市に生まれました。野球を始めたのは寺津小学校2年生の時で、『愛知衣浦リトルリーグ』に入団。あだ名は『仁紀ちゃん』でした。性格は『いじられキャラ』。これはお笑い芸人さんからみていかがですか?」

ココリコ・遠藤さん:
「いじられる人っていうのは人柄がいいっていうことですよね」

ずん・飯尾さん:
「愛されてる証拠で、食いっぱぐれがないですね。年下から気を遣われるようになったらピンチです」

若狭アナ:
「そこですね!なるほど(笑) さらに岩瀬投手はめちゃくちゃ甘党。好物は大福だということです。小学生当時、学習塾に通っていて、成績は『中の上』。家のそばにある1周800メートルの通称『岩瀬ロード』を毎日5周走り込んでいました。ちなみに取材に行ってみると、見た目は普通の農道でした」

スポーツLIVE High FIVE!!スタジオ収録風景
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21アウト中「20アウト」が三振

 そして寺津中学校に進みますと、運動神経抜群で、運動会ではなにをしても常に1位。サッカーも得意で1年生から市の大会にフォワードで出場し、ゴールを量産して優勝。幼馴染の方いわく『中学にサッカー部がなく、急造チームで他校のサッカー部を撃破した』とのことでした。

 しかし、武道は大の苦手で、竹刀を振るだけで笑いが起きました。スポーツ万能なのになぜか女子にモテなかったということです。

 また野球では当時から球が速く重かったため、バッターが打ってもボールが前に飛ばず、当時の捕手の方は『毎回、ファールチップが股間を直撃した』と…」

ココリコ・遠藤さん:
「これは非常に厳しい状態になりますね…」

ずん・飯尾さん:
「本当の“恋女房“ですね…」

若狭アナ:
「女性陣苦笑いの中、次に参ります。中学時代に完全試合を達成。中学は9回制ではなく7回までなのですが、7回21アウトのうち、20奪三振!」
「しかしどういうわけか、愛知の私学4強(中京大中京・愛工大名電・東邦・享栄)から勧誘がなく、愛知県立西尾東高校に入学しました。『西尾に岩瀬あり』という情報がなかったんでしょうか…」

ココリコ・遠藤さん:
「僕ですら、一応声かかりましたからねぇ。だいたい中学3年生の頃に、有名な私学の方が試合を見に来ていて、その後に親と話をするとかありましたね。なんで勧誘なかったんですかねぇ?」

スポーツLIVE High FIVE!!スタジオ収録風景
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出身高校には『岩瀬坂』

若狭アナ:
「高校時代の主将の方によりますと、普段はのんびりしていて“戦闘力0”だけど、野球となると“戦闘力100”になったそうです。芸人さんですとどうですか?楽屋では0だけど…とかありますか?」

ココリコ・遠藤さん:
「我々の番組のリハーサルを見てもらって分かったと思うんですけど、“リハ0”で“本番100”です」

ずん・飯尾さん:
「私は20代の頃、“楽屋100”で“本番0”でしたね(笑) 楽屋芸人、楽屋横綱と言われてました」

若狭アナ:
「だんだん経験を積んで逆転してくると(笑) そういう意味で岩瀬投手は理想的だったようですが、当時バッターとしてもすごく、エースで4番。投手としては相手打者のボールをほとんど外野に飛ばさせず、打者としては“流し打ち”で100メートル先にある自転車置き場までホームランを放っていたということです」
「そして西尾東高校の正門前には“岩瀬坂”とも呼ばれている坂が。岩瀬投手が高校生当時、そこで1日何十本もダッシュをしていたそうです。今の現役球児たちもそこで走り込みを行っていて、今年の夏の高校野球では東愛知大会の決勝まで進みましたから、実力もつけています」

スポーツLIVE High FIVE!!スタジオ収録風景
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大学リーグ“安打数”が今も歴代2位

 1993年に愛知大学に入学。『ヒョロヒョロで投手としては通用しない』と言われ、外野手にコンバート。1年生からレギュラー出場を果たすと、愛知大学野球リーグの大学通算で、384打数124安打、打率3割2分3厘。安打数は現在もリーグ歴代2位の記録で1位は125安打ということでした。このことについては岩瀬投手ご本人も『1本足らなかったから打者としてはどうかなと思った』と証言しています」

ココリコ・遠藤さん:
「これ、もしあと1本打ってたら、今の岩瀬投手はなかったかもしれないんですね」

若狭アナ:
「そうかもしれないんです。それでも外野手として大学日本代表に選出され、当時同じ代表の外野手としては一学年下の慶応大学・高橋由伸さんがいて、ピッチャーでエース格だったのは、明治大学の川上憲伸さんでした。

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伝家の宝刀「“スライダー”じゃない」

 そして1997年からはNTT東海に所属。再び投手に専念することになり、運命を変える伝家の宝刀『スライダー』を習得しました。伝授したのはこのチームの当時のコーチ、森昌彦さん。当時を振り返り、次のようにおっしゃっていました」

森さんのお話:
「彼の投げ方を見てスライダー系を投げるのに適した投げ方だったので、武器になるかもと思って練習させてみました。そうするとすぐに曲がるようになってきて、体の使い方がうまくなるとほとんど打たれなくなりました。」
「2年目になると、球のキレが抜群になり、“ストライクからボールになる球“ではなく、”ストライクからストライクになる球“で勝負していけと言っていました。コーチとしてそれくらい自信のあるボールでしたが、実はあの変化球はスライダーじゃなく、正体は“カットボール”。曲がりの大きさからか、いつしか“高速スライダー”と呼ばれるようになっていたんです」

ココリコ・遠藤さん:
「僕のイメージでは、スライダーは投げた時からスライダーって分かる球なんですね。それに対してカットボールは急に曲がる感じですね」

若狭アナ:
「さて今回、“レジェンド”岩瀬投手がプロ野球選手になるまでの歩みを振り返ってみましたが、お二人はいかがでしたか?」

ずん・飯尾さん:
「じっくり煮込んできたっていう感じしますよね。焦がさずに」

ココリコ・遠藤さん:
「なるべくしてスターになられたと思います。冒頭で、社会人上がりで…というお話をしましたけど、やっぱりちゃんと意味があったんだなと。高校や大学からもしプロに入っていたら、この“ピッチャー岩瀬”はないと思うので、きっちり歴史があっての今の岩瀬さんなんだと思いました」

(9月30日(日)午後1時24分放送 CBCテレビ『スポーツLIVE High FIVE!!』より)

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