名古屋から屋久島に移住して35年 妻に先立たれ94歳のひとり暮らし 介護認定も「屋久島に骨を埋める」 離れて暮らす息子は…

世界自然遺産の屋久島に名古屋から移住して35年。ことし、94歳になった男性にカメラが20年ぶりに密着しました。
山田伝(でん)さん94歳。名古屋から屋久島に移住して、ことしで35年。掃除機は、毎日午前と午後の2回、隅々まで。バブル景気が崩壊した1991年、伝さんは3300万円(土地・建物)でこの「終の棲家」を建てました。働くのは60歳で終わり。「社長」の肩書と決別しました。


鹿児島県屋久島、観光客は年間24万人ほど。伝さんが移住した2年後の1993年、日本初の世界自然遺産に登録されました。1周約130キロ。
古くは「ヒト2万 サル2万 シカ2万」と言われた時代も。しかし、人口はいま約1万1000人。屋久杉をはじめ、壮大な自然が多くの人を魅了し観光が主力産業です。

移住の決め手は「故郷に似ていた」
島の南部の集落「平内」。伝さんが初めての移住者で、1991年は原野が広がっていました。移住の決め手は、故郷・岐阜の景色にどこか似ていると感じたから。
(三重から移住して24年 光武輝昭さん 81歳)
「飲み仲間も何人か亡くなった…」

いま平内には約630人が暮らしていますが、島の中でも特に温暖なこの集落は人気で、半数以上が移住者だといいます。
釣りのしかけをつくるのが趣味。しかし、岩場で釣り糸を垂れる体力はさすがになくなりました。

移住から7年目の1998年 田舎暮らしに夫婦は…
伝さんとの出会いは、28年前。1998年の暮れのことでした。
(山田伝さん 当時66歳)
「お客が来たりなんかで空港まで迎えにいきますでしょ。そうしますとうちの家内が『きょうは車にたくさん出会った』と言うんですね。家から空港までの間で『どれくらい?』というと『4台出会った』と…」
(番組スタッフ)「4台で多かった!?」

(山田伝さん)
Q.かなり海に近いですね。
「350メートルです、海まで」
移住して7年のこの頃は、妻・英子(えいこ)さんも釣りに夢中。当初は、伝さんの田舎暮らしへの熱い思いとは真逆で、近くにデパートがあるほうがいいと思っていました。1歳の初孫とは、断腸の思いで別れました。しかし…
(妻・英子さん)
「クロ(グレの通称)だ!とってとって!」「やったー」
(山田伝さん)
「この魚はおいしいの!」「これはいい魚」
(妻・英子さん)
「やっぱり違うわ、引きが」


「モグラのような日々を送っていた」と語る名古屋時代
1951年、名古屋市内でレコード店を開業した伝さん。その後、高度成長期には5店舗に拡大。
店には歌手の皆さんが新曲がでるたびに挨拶に。芸能界とのつきあいも忙しく、共働きの2人は毎日のように帰宅は深夜に…

栄の地下街に構えた店で「まるでモグラのような日々を送っていた」と、伝さんは振り返ります。
(山田夫妻 1998年12月31日)
Q.名古屋で商売やっていた時の12月31日は、2人にとってどんな日?
「戦争でした」
(山田伝さん)
「あれに比べれば、ここは“天国・竜宮城”」

2004年 妻・英子さんが他界
インタビューから6年後、英子さんはガンで他界。
名古屋での療養をすすめる声もありましたが、英子さんは最後まで屋久島を離れることはありませんでした。ことし8月15日が23回忌。墓はなく、英子さんは海に眠っています。

その海辺には、干潮の時間にだけ現れる平内海中温泉があります。伝さんは、毎日のように通っていました。
英子さんの3回忌には、平内のおどりの会のメンバーが自宅に突然来てくれたことも。

2026年 現在の暮らしは…
(こまどり館 事業管理者 上山康人さん 8月17日)
「まだ暑い日が続いていますから、皆さん家でもちゃんと水分補給してください。よろしくお願いします」
人は老いには抗えません。伝さんは、いま通所介護のサービスを受けています。ここでは週2回、午前9時半~午後4時前まで過ごします。おやつや昼食をはさみながら、歩行や機能訓練などのメニューをこなします。

伝さんは、ことし6月から「要介護1」に。日常生活の基本的なことは1人でできますが、部分的に見守りが必要であると主治医らの判断が下りました。伝さん担当のケアマネージャーに、ケアプランを聞きました。
(岩川康成さん)
Q.伝さんのケアプランは?
「訪問看護に入ってもらって、健康観察とか病気のことなどを伺ってもらう。デイサービスやヘルパーも、体温・脈拍・血圧などのチェックなど状態を確認。連携をとって観察していく段階」

認知機能が低下 朝と夜の時間を間違えることも…
伝さんは、日曜日以外は介護サービスを受けています。
1日1食分の弁当も届きます。1人になってからは、キッチンが食事のときの定位置に。
(岩川康成さん)
Q.要介護1が認定された理由は?
「平内海中温泉で転んで脳に障害を負って、短期記憶の障害が少し…」

伝さんは2年半前、平内海中温泉で脱衣直後に転び、病院に救急搬送。脳挫傷と外傷性くも膜下出血と診断され、3か月の入院。それ以降、徐々に認知機能が低下しました。
(岩川康成さん)
Q.どんな認知機能の低下が?
「病院での受診をお願いするのに、『朝8時までにバス停に行ってね』と伝えるのに、一度のお願いでは難しいのでメモを渡したり、二度三度と前の日に電話したり…(7月の受診日)前日の夜にバス停で8時くらいにバスを待っている伝さんを近所の人が発見してくれて、自宅まで連れて帰ってもらった」

(山田伝さん)「ぼけてきたなと思いました」
(番組スタッフ)「朝と夜を間違えてしまうというのは相当…」
(山田伝さん)「いま考えてもぞっとします」
(番組スタッフ)「とてもしっかりしているなと思いますが、時々そういうことが起きてしまう?」
(山田伝さん)「はい」
離れて暮らす家族は?
もしものことがあったら。
愛知県一宮市に住む、伝さんの一人息子の享史(たかし)さんに聞きました。
(息子・山田享史さん 65歳 9月)
「(親子で)特に約束事はないんですけど、屋久島で骨を埋めるからということは言っていた。おやじもおふくろと一緒に『どこかに骨をまいてくれ』と言っているので、そのつもりでいます」

(山田伝さん)「いつでもいらっしゃってください」
(番組スタッフ)「ありがとうございました」
つづきの話は、また今度。










