日本生まれ「カプセルホテル」驚きのルーツは大阪万博の会場にあった!
ビジネス出張や旅行などで多くの人が利用する「カプセルホテル」。そのルーツは今から半世紀以上前に大阪で開かれた万博会場のパビリオンだった。
「人類の進歩と調和」をテーマとした日本万国博覧会(大阪万博)は、1970年(昭和45年)3月14日から半年間、吹田市の千里丘陵で開かれた。77か国が参加して、日本企業も加えた110ものパビリオンが会場に立ち並び、戦後復興の総仕上げを目指した一大イベントに日本中は歓喜した。シンボル「太陽の塔」が真ん中に立つ「お祭り広場」に宙づりに展示されたのが「空中テーマ館」、その中に「住宅カプセル」という展示があった。
住宅カプセルには、「ベッドカプセル」と「浴室便所カプセル」の2つが備えられていた。
その寝室用「ベッドカプセル」こそが、後に「カプセルホテル」となるアイデアの原型だった。子どもが成長して月日が経つと子ども部屋は不要になる。ならば独立していく子どもたちはカプセルごと引っ越していき、親は親で自分たちの次の人生設計に合ったカプセルを求める。それが「メタボリズム(新陳代謝)」という発想だった。まさに万博のテーマ「人類の進歩と調和」がそこにあった。
この「メタボリズム」という発想の持ち主こそ、有名な建築家・黒川紀章さんだった。愛知県生まれの黒川さんは、73歳でこの世を去るまで数多くの建築作品を残した。地元の愛知県では名古屋市美術館や豊田スタジアムが代表的な建築である。黒川さんの考えは、人間は社会の変化や人口の増減に対応して、有機的に成長していくというもので、カプセルを持ち運べば、それがそのまま“住まいのスペース”になるという「住宅カプセル」のアイデアこそ、ひとつの象徴だった。
大阪万博から9年後の1979年、サウナを経営するニュージャパン観光が黒川さんに設計を依頼して、「カプセル・イン大阪」を作った。これが世界で最初のカプセルホテルとなった。それ以前は大浴場横のスペースで“ごろ寝”していたサウナ客のために、黒川さんの「カプセルホテル」という発想を持ち込んだのだった。狭い空間は機能的にできていた。ベッドなど寝具、時計、テレビ、ラジオ、照明器具など必要なものが揃っていた。
気軽に泊まることができて、何より安かった。当時はシングル一泊1600円、「2100年のビジネスホテル」がうたい文句だった。
海外からも泊まりに来る人が増えて、「カプセルホテル」の形は世界に広まっていった。英国やイタリアでは空港内にカプセルホテルが作られ、そこにはシャワールームなども完備された。オランダには、ベッド以外に立ち上がって身体を伸ばすことができる、広い「カプセルホテル」もお目見えした。
「カプセル・イン大阪」では、当時のカプセルが「スリープインカプセル(睡眠用カプセル)」として活躍中。2014年には大阪市の「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」にも選ばれた。今や“有形文化財”的な存在にもなったカプセルホテルの発想は、新型コロナウイルスへの感染予防でも活かされている。災害などの避難所では“三密”を避けるために「ダンボール・スリープカプセル」がお目見えした。事前に準備しておけば、非常時にダンボールを組み立てて使用できる、新たな備蓄品だ。
手軽に使える便利さとコストを見事に“調和”させて、今なお“進歩”を続けるカプセルホテル。大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」は、半世紀以上たった令和の時代でもカプセル空間の中でたしかに息づいている。日本生まれ・・・「カプセルホテルは文化である」。
【東西南北論説風(239) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿のコレ、日本生まれです」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして紹介します。